提唱者による文章

 毎日暑いね。エアコンが生命維持装置と呼ばれているとテレビで言っていた。確かに、エアコンがないと暑くてやってられない。部活で毎日のように体育館に行くけど、うちの体育館は風通しが悪すぎて、立っているだけで汗が出てくる。そんな環境の中で体を動かしている部員はすごいよ。環境は恐らく自分が生徒だった時よりも悪いのに、それでもちゃんとにプレーしているんだから。明日も部活、明後日も部活。夏休みというのは生徒にとっても教員にとっても名ばかりのものなのかな。

 

 珍しく一日お休みだったから文章を書こうと思った。いつもならタイトルがすっと浮かんできてつらつらと書き散らかせるのだけれど、今日はなんだか違うみたい。きっとタイトルを先に決めてしまうとその内容を書こうとしてしまう。それはつまらないから、書き終わった後にタイトルを決めよう。それがいい。いや、タイトルを決める必要はそもそもあるのか?くだらないことをだらだら考えるのはやめよう。悪いくせだ。

 

 文章はこれまで書いてきたものの出来が良ければ良いほどハードルが上がるような気がする。個人的に前回書いた文章はすごく出来が良くて、自分でも何度も読み返してしまうほどお気に入り。沖縄について書いたやつも嫌いじゃないけど、あれを読むと心がキュッとしてしまう。メンタルが落ち着いているときに読むのがいい。

 前回書いた文章が良いせいで、今回も良い文章を書かなきゃいけないというある種のプレッシャーに襲われている。近代の小説家はどうして自殺ばっかりするのだろうかと思っていたけれどほんの少しだけその理由がわかるかもしれない。どうしても文章に優劣をつけがちで、毎回超えなきゃ超えなきゃと思うと、筆の進みは悪くなる。超えるためにはどうしたらいいのか、悩んで悩んでその苦しみのようなものから逃げたくなってしまうのではないか。少しだけ理由がわかるかもといったが撤回。きっとこんなに安っぽい理由じゃないはず。自分の文章はいつだって不安とか鬱々としたものが託されたもので、辛くて逃げたいときに自己満足的に書いてきた。夏休みに入って不安の種である授業とか校務から少しの間だけ釈放されているから、気持ちにもほんの少しだけ余裕が出てきているのかな。今はなかなか落ち着いたいい気持で毎日を過ごせている気がする。自分はだれかに頼らないと落ち着けない、生きていけないタイプの人間なのに、珍しいよね。

 でも2学期が始まることを考えると不安がふつふつと湧いてくる。夏休み中に授業の準備とか自己研鑽しないといけないのに、そんな時間が取れない。あと3週間とちょっとで2学期が始まってしまう。残された時間の中で授業・部活・自分、全部上手くできるのかな。男はマルチタスクが苦手だと母親が言っていた。確かに同時並行して物事を進めるのはなんだかムズムズする。一つの物事に注力してやり切った瞬間、タスクの達成度が100%になった瞬間、あの瞬間がすき。同時並行で進めるとあれもこれもとなって脳のキャパシティがいっぱいいっぱいになって、何も考えたくなくなってしまう。不器用だな、自分。指先も、人間関係も、仕事も、全部不器用。だれか受け止めてくれないかな。少しずつでもいいから取り掛からなきゃね。なにもしないよりはきっとマシ。楽なのは何もしないことだろうけど、きっとあとでその時自分を恨みたくなってしまうから。

 

 性格の話がでたからすこしだけ。時間があったからMBTI診断というものをやってみた。

『MBTIは、個人がどう世界を認識し、物事への決定を下すかについての心理学的な選好を示すことを目的とした、自己申告型のアンケートである。受験者は、外向型・内向型、感覚型・直感型、思考型・感情型、判断型・認知型の4つの二分法を掛け合わせた16の性格類型に分類される。』                   Wikipedia

時間があればぜひやってみてほしい。

www.16personalities.com

もうやったことある人も多いか。いろいろサイトがあるけれど、自分は↑のサイトでやってみた。こういう性格診断的なものはいつも悩んでしまう。この時はこれといったようなパターンが自分にはあまりなく、その場その場で自分の立ち位置を変えてしまう。それもある種性格の一つなのかもしれないが。

 

 自分は【提唱者型】という診断結果であった。

>>>INFJ型は提唱者型とも呼ばれ、誠実で責任感の強い理想主義者です。周りのために何かしようという気持ちが強く、自分のことを後回しにして人のために努力し続けます。物静かで人見知りなので控えめに見えますが、秘めた情熱を持っています。同時にいくつものことを進めるより、一つのことをじっくり考えながら進めたいタイプです。

 

”同時にいくつものことを進めるより、一つのことをじっくり考えながら進めたいタイプ”

 先ほど自分が不器用だといったがまさにそのタイプらしい。この手の性格診断はあまり真面目に受け止めないタイプではあるが、この結果には少し関心した。

 

>>>自分の理想を実現したいあまり猪突猛進になりがちで、頑固で意見を曲げない柔軟性に欠ける側面も持ち合わせています。また、のめり込むあまり燃え尽きて強いストレスを抱え込むことがありますので注意が必要です。

 

 頑固なのは自分でもわかっている。自分で意見を決めたり、人にお願いをするのは苦手なのに、いざ決めてしまうとその意見に固執してしまう。変なところで頑固だといわれるのはそのせいだろう。

 

>>>提唱者は内向的ですが、偽りのない深い人間関係を大事にする人たちです。相手を心から理解し、自分も相手に深く理解してもらう。これができれば、提唱者はとてつもなく大きな満足感を得られます。雑談より、奥の深い会話を断然好み、周りに気を配りながら穏やかに会話に参加する傾向もあります。提唱者の高い洞察力と自分の気持ちに正直である様子に、周りの人は強く印象付けられるでしょう。

 

 内向的なタイプなのは自覚している。友達が多いわけでもなければ、率先して遊びの予定を立てるようなタイプではない。自分が本当に行きたいと思った時だけ重たい腰を上げる。そんな感覚。だから広く浅くというよりも狭く深くというこういう関係を築いている。大学時代の友達でも連絡先が残っているのは十人いるかいないかだし、インスタも数人残してサヨナラしてしまった。雑談も嫌いではないが、この会話はどこで着地するのだろうか、いつのタイミングでこの人の前から去っていいのだろうかとすごく考えて、疲れてしまう。仲いい人にはそんなことないけれども、そんなに仲が深くない人だと本当に苦痛。文面のやり取りはそんなこともないけど、対面はだめだ。

 

>>>友達がたくさんいるというタイプではありませんが、少数の「自分にとってとても大切な人たち」を幸せにするために行動するという絶対的な指針を持っています。

一方で引っ込み思案な一面や消極的な一面、会話に積極的に参加できないという面があるので、せっかくのクリエイティビティや独創的な考えをなかなか周りと共有できないという側面もあります。またストレスを感じやすく、他人の何気ない一言がずっと心に引っかかってしまうという方も多いのではないでしょうか

 

 クリエイティビティではないので若干うなずきづらい部分もあるが、他人の何気ない一言がずっと心に引っかかるというのはまさにその通りだと思う。相手が意図していない部分でも言葉尻や表現から勝手に推察して勝手に傷ついたりする。発言した人はきっと何も深い意味なんてないのだろうけれども、自分で勝手に意味をつけて傷つく。めんどくさい性格だな。自分。

 

>>>(−)短所
秘密主義・受け身・お人好し・被害妄想が激しい・神経質・周りの目に敏感・競争心がない・頑固・周りを寄せ付けない・ネガティブ・理想ばかり追う・心を開かない・怒ると怖い・感情的

 

 短所の代表格みたいなやつらが集まってる。問題児ばかり集められたクラスみたいな。秘密主義なのは否めない。聞かれるまで言わないみたいなところあるし。受け身。能動的では確かにないし、自分の意見が相手にどう思われるか怖くて相手の意見や相手がどうしたいかに従ってしまう。お人好しなのは自分でいうのも恥ずかしいがそうだと思う。被害妄想が激しい・ネガティブなのも、この文章を読んでくれてる人なら知ってるよね。心を開かないというのは若干違うかも。誰にでも開くわけじゃなくて、信頼したら開く感じかな?バイト先の人に、最初はわからなかったんですけど、安井さんて面白い人だったんですねと言われたことがある。仲が深まらないと冷たいけど、この人にならと思ったら明るく接することができるのかなきっと。

 他人に慈悲深いという面で、教師が適している職業に入っていた。逆にノルマなどがある一般的な営業職は向いていないそうだ。そういう意味では今の職業選択は間違っていないのかなと思った。適しているだけで能力はないのかもしれないけどね。

 

 そろそろ終わりにしようかな。なんだか自分語りしただけだった?いつもそうとか言わないで。書いといてなんだけど、自分てめんどくさい性格しているんだなと思った。仲良くしてくれてありがとうだ。愛想もつかずに、やさしく受け止めてくれて、救われています。

    昨日歌番組で、「ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない」って歌詞があった。なんでかすごく頭に残った。曲自体名曲なんだけどさ。今生きている世界はどう考えても天国じゃない。生き辛いし、何か大きい不安があるわけでもないけど勝手に原因不明の小さな不安に苛まれたりしている。でも、地獄というほど悪い世界じゃないと思うんだ。自分にとっては部員が楽しそうにバスケをしてくれているだけでうれしいし、先生先生って色々話してくれるのもうれしい。自分のことを理解しようとしてくれる人もいる。地獄と呼ぶには明るすぎるし、天国というには暗すぎる。そんな世界の中で、自分ができることをやるしかないんじゃないかと思うわけで。実力以上のことはきっとできないけれども、それでも。ね。なんて、意識の高い人みたいなことを言ってみたり。できることをやる。簡単そうに見えて一番難しいんじゃないかと思うよ。自分でいっといてなんだけど。天国でも地獄でもないこの世を、できればだれかと、少しでも明るく歩いていきたいよね。

 一年もあと五か月。はじめて文章を書いたあの日からもう八か月。あっという間だったな。残された時間の中で、去年の自分に胸を張れるようになるかな。いや、いつだって猫背がちな自分が胸を張ることはないかもね。それでも、悪くなかったといえるようになんとか。

 

 やっぱり毎回まとまりが出ないよね。話があっち行ったりこっち行ったり、事実を話したりお気持ち表明したりと、読んでると疲れちゃうよね。ごめん。文字数は約4500、大学4年春の期末課題くらいかな。引用含めだけど。時期的にもみんな仕事にも慣れてきたくらい?(大学生もいるか)

 大学生が人生の夏休みといわれている理由がわかったような気がするよね。でも、人生の夏休みにしては少し早すぎるよ。もう少し、疲れ切った時くらいに来てほしいよ。休みの取り置きはできないんだからさ。代り映えしない毎日かもだけど、頑張っていきましょう。夏バテしないように、元気出していこ~。文字に逃げたくなったら来るよ。

 

 またね。

一生実習中

お久しぶりです。

 

ブログを書くのは約2ヶ月ぶり?になるのかな。中間テストも終わって、文化祭も終わって、あっという間だったな。教育実習生が来てるんだけど、自分が実習やってからもう1年経つのかと思うと、時の流れの早さが身に染みる。きっと来年の今頃もまた同じようにあれから2年か~~~とか言ってるんだろうね。働き始めてからもう2ヶ月経つけど、教育実習の3週間の方が長く感じるな。思い出フィルターかかってる?

更新してない2ヶ月の間に色々あったよ。主に仕事で。プライベートは本当に何もないね。土曜日部活行って日曜も仕事するために学校行ってるから、プライベートがそもそもない。ちなみに今日もお昼過ぎまで職員室にいた。家にいてもやることないし仕事もできないから(集中できなくて)、自主的に行ってきた。学校大好きかよって思われるかもだけど、別に嫌いじゃないんだよな、まだ。そのうち嫌になるんだろうけど。今は新卒ブーストでシャキシャキしてます。

 

中間テストは初めて作問したけど結構難しかった。適当に作ってると思ってたら大間違い。色んな先生方がここは難しすぎるんじゃないかとか、この部分あんまやってないから変えてほしいとか色々話し合いをしてて、なかなかしっかり考えられてるんだなと思った。自分は大問1つしか作ってないけど、それでも結構頭を使った。選択肢に同じようなものがないかどうかとか、記述はどう書けてれば満点なのかとか。あれを100点分作れと言われたら結構嫌かも。そのうちやらされるんだけども。

自分が教えてるクラスで赤点が出ると結構凹む。自分の教え方が悪かったんじゃないかとか、ハズレの先生だからとか思われてるんじゃないかってすごく不安になる。けど他のクラスでも赤点を取る子は取ってるわけで、そこでクヨクヨしても仕方ないのかな。採点は思ってるよりダルくて、270枚くらいの答案を採点するのは相当体力を使った。けど、やってるうちにだんだん答案を開いただけで赤点かどうかが分かるようになった。ちゃんと書いてれば部分点とかで救えるんだけど、記述とか全然書いてないと救えないんだよね。点のあげようがないから。まあ返却の時になんでもいいから書けって言ったけど。分かったから書くんじゃなくて、とりあえず書いてみて、そこから解答を作りあげればいいんだよって。もしかしたら解答が掠って部分点貰えるかもだよ?とも。あとは何言ったかな~~~。点数で一喜一憂しないで、なんで点数が低いのか考えろって言ったな。記述書かないで点数低いなら書けば点数上がるし、漢字ができてないならそこを練習すれば今よりもっと上がるよねって、当たり前のこと言ったな。でも、伝えられるのはそれくらいしかなくて。自分のクラスの平均が低いのがショックで、期末の範囲はめっちゃ丁寧にやってる。おかげで範囲終わるからビクビクし始めた。期末はみんなもっといい点数取れるように頑張れとしかいえない。 

 

中間テストが終わって、部活の総体予選があった。この大会で3年生は最後。1日目は全勝でグループリーグを突破。負けたら終わりの2日目、勝てば決勝というところで負けてしまった。あれは自分のせいだと思う。

人数いるからもっと代えていきましょう!って前に部員に言われて、それが頭に残ってて、疲れてそうなエースを代えて少し休ませたらその時の点差が結局最後の点差になってしまった。あそこで交代させなかったら良かったのだろうか。今でも分からない。けどもし仮にあそこで交代させずに戦わせてたとして、その後の決勝を勝ち切る体力が残っていたかと言われるとそうではない。難しい。代えたらなんで代えるんですか、代えなかったらなんで代えないんですかと言われる気がした。いや、普段はそんなこと一切言わない子たちだから自分が勝手に頭の中を混乱させただけ。顧問よりもしっかりしててキャラが立ってて仲良しだった3年生ともっと一緒にチームとしてやっていきたかったな。負けたあとの集合は本当に何を言ったらいいのか分からなくて(みんな泣いてるし)、何を言ったらいいのか分からないってそのまま言ってしまった。自分も悲しくて涙が出てきて、1,2年生は絶対この気持ちを忘れないで、自分たちの代に繋げようって言った気がする。自分が言葉を発する度に生徒たちの涙が溢れていて、顧問の言葉は意外と重いのだと痛感した。こんな気持ちを毎年するのは嫌だと思いながら、新チームがスタートする。

自分が生徒の時大会前に、顧問から「結局いつかは負ける。それが総体予選なのか県大会なのかは分からないけど。」と言われて、こいつ大会前にマジか。と思ったけど、今はその言葉が分かる。いつかは負ける。全国大会で優勝する一校以外は絶対にいつか負ける。その負けた時に悔しくないように頑張ろう。みたいなことなんだろう、多分。さすがにそんなことを今の生徒たちには言えないからいつかタイミングをみて伝えてみないとね。

新チームスタートと同時に、前チームよりも顧問の責任が重くなりそうな予感。楽しみだけど、不安も大きくなっている。そんな部活動。

 

6月に入って教育実習生が来た。と思ったら自分は2泊3日の初任者研修。本当に行く前は鬱だった。文化祭に被ってるし、自分の布団で寝れないのが嫌で嫌でしょうがなかった。おウチと学校大好きだから、初対面の人間と過ごすのが苦痛になると思ってた。職員室で隣の席の先生が「結婚相手が見つかるかも」とか言ってたけど、2泊3日で見つけられるような人間性をしていたら、すでに自分にはいい相手がいるわけで、絶対無理だろと思いながらそのアドバイスを聞いていた。研修会の内容も、講演を聞くだけならまだしも「グループ討議」とか「グループでの発表」の文字を見て蕁麻疹が出そうだった。陰キャの嫌いな言葉ランキング1位(全日本陰キャ協会調べ)「グループ○○」

グループで話し合った時のあの無言の時間が本当に耐えられない。お互い探り探りに会話を展開するが上手く続かないあの感じが本当にダメ。だから要項を見た時に目の前が真っ暗になった。ああ、あの空気感を味わうのかと。

結果としてはその空気感を味わったけども、想像よりも悪くはなかった。意外と面白かったし(楽しかったわけではない)、タメにもなったとおもう。1日目の教科ごとの討議では進行役に誰も立候補しなくて、あの誰かやれよの空気が無理すぎて仕方なく手を挙げた。2時間場を回した。非常に疲れた。国語科教員が抱えている悩みはみんな同じようなもので、自分一人じゃないんだとすごく安心した。けど、バリバリの新卒はあまり居なくて、公立で数年講師をやってて今年から私立で1年目ですみたいな人が多かったからか、自分よりもしっかり先生している人が多かった印象だ(なら進行役ももっと手を挙げてくれと思うが)。

研修会の役員の中に副校長がいて、一日目の夜は副校長と中等部の1年目・3年目の先生で飲みに行った。自分の学校なのに知らないことばかりだったし親睦深められた気がする。あの時間は良かった。

2日目はごちゃまぜグループになって、私立学校を新設するというグループワークに取り組んだ。学校の種類から建学の精神、教育の目標・特色、進路目標、施設、行事、部活、諸経費、学費、入試形態などなど一から全てを自分たちで考えるというものだ。これが研修会のメインイベントらしい。自分のグループには回してくれる人がいた。助かった。作業中無言の時間になることはあまりなかったけど、自分が学生気分なんだなと言うのは実感した。ほかの先生方は芯を持ってるのに、自分はフラフラ他の人がどうにかしてくれるのを待っている感じ。グループ内で分担して作業する時、一つ上の女子校の先生と一緒作業をしたけど、こんなに仕事できるものなのかと驚いた。まず立教出身だし(学歴コンプ)、留学もしてるし、MacBookだし、調べるのも早いし基礎的な学力もある、学校のこともよく知ってる。自分とは全然違うと思った。けど、歳上の人に頼る?先輩として気兼ねなく接する?みたいな感覚が久しぶりですごく楽しかった。途中途中自分の無力さが嫌になりながらも、その人とあーでもないこーでもないとワチャワチャやったのはいい思い出。自分もしかして歳上の方がいいのか?とふと思ったがこれは多分場の空気に呑まれただけだろう。歳下は絶対に無理。絶対にだ。

まあそんなこんなありながら3日目、自分たちで考えた私立学校を学校説明会という体で発表する。ちなみに自分は新設学校の教務部長で、説明会の進行役でした。投票で順位が決まるのだが、結果は多分あんまり良くない。8校中下位3校なのは確定している。それ以上はしらない。可もなく不可もない内容だったから多分票が集まらなかった。そんなにちゃんとにやったつもりは無いけれど、結果が伴わないのは悔しい。他の人が頑張っていたのを知っているから余計に。

そんなこんなで研修会は終わり。連絡先交換とか1人もしなかったな。陰キャ極まれり。

 

学校に帰ると文化祭2日目。片付けも始まろうかというところで2年生(以降A)と3年生(以降B)が教室前で話していた。何してんのと声をかけると、Bが2年生の男バスの子(以降C)と写真を撮りたくて声をかけるかかけまいか悩んでいて、AがBを後押ししているようだった。もう少しで片付け始まっちゃうから、撮るなら今しかないよ!と自分も後押ししてみた。すると、呼ばれたCが中から出てきて、恥ずかしそうなBと一緒に写真を撮った(カメラマンはA)。Bはずっと「そういうのじゃないから!」とかニコニコしながら言い訳をしてたけど、余計にそれがまた高校生らしくて良いなあと思った。先輩から写真を頼まれる子ってガチのイケメンだよなとふと思った。

写真の流れそのままに、Bが「先生、Aも撮りたい男の子がいるのに声掛けないんですよ~~~」とニヤニヤ話しかけてきた。

自分「Aさん、文化祭とかで声掛けなかったらぜっっっったい後悔するから、マジで今しかないから!写真撮ってきな!」自分の経験に基づくアドバイスをしてみた。

A「先生、後悔したことあるんですね……」

自「ある!だからAさんには同じ思いしてほしくない!早く!声掛けてきて!!!」

A「私はいいんですよ、本当に、もう絶対無理だから、、」

Aは恥ずかしがって顔を真っ赤にしていた。

自「写真撮れる行事なんて残り少ないんだから、楽しい思い出は増やした方がいいでしょ?」

意を決したのか、AはBと一緒に目当ての子がいるクラスへと歩いていった。何度もこっちを向いて、無理無理とやっていたが、それに毎回行け行けと返した。Bと写真を撮ったCと廊下にいると、いつの間にかほかの女バスの部員もいたので、青春を浴びすぎて溶けちゃいそうとだけ伝えておいた。Aが写真を撮りたがってた相手は他の部員が教えてくれた。ちなイケメン。

少ししてAが廊下にでてきた。恥ずかしそうにガッツポーズをしていた。自分とAとは3教室分くらい距離があったけど、思わずその場で拍手をした(音が出ないタイプの)。

若人は青春をしてなんぼですよ。本当に。

Aにとって今回の文化祭がいい思い出になってくれればいいなと、切に願った。

コロナ禍で制限が多かった世代だからこそ、少しでも楽しい思い出は楽しいままでいてほしい。

 

そして今に至る。

どう?2ヶ月ギュッと濃いでしょう。これから夏休みがあって、修学旅行があると考えるとさらにあっという間なんじゃないかという気持ちになる。少しでも気を抜けば無意味に時間が過ぎていってしまいそう。自分はまだまだ教員として未熟者で、生徒たちに何も与えられていない。一生実習中と言われてもおかしくない。少しづつでも、一歩づつでも先生らしくなっていきたい。先生らしいって何か分からないけど、自分が伝えた言葉とか、考えとかが1つでもその子たちの中に残っててくれればいいなって。ただ、漠然としか。

何も持ちえない、何もしてあげられない無力な自分だけどそんな自分が嫌いにならないように毎日頑張っていきたいです。

カッコつけたけど、とりあえず死にたいとかそういうこと思ってないだけマシだよね。

ここに来たのも、辛いからとかじゃなくて、純粋に近況報告したかったからだし。

次来る時もそれくらいの気持ちでブログを開けたらと思います。

もう少しで1年が半分終わります。みんな、元気で。

 

またね。

良くないね

 今日は前置き無しでいこう。

 

 あんまり気分が良くない。天気のせいかな。授業一週間やって生徒の前に立つのが少し怖くなった。特段これといった出来事があったわけではないんだけどね。授業の時間が余ってしまったり、単元の進みがめっちゃ早くなってしまって教材研究が追いついてないからかな。今は特別時間割っていうくくりの中で授業が進んでいっているんだけど、この一週間で三回授業があるクラスもあれば、一回しか授業をやっていないクラスもあって、どうしても回数が多いクラスは実験台のようになってしまう。本当にごめん。あのクラスの子たちには顔向けができない。

 

 年配の女の先生が週二コマじゃ終わらせるのに精いっぱいだよと悲痛な叫びをあげていたけど、その気持ちは分からない。だってこっちは時間があまってあまってしかたないのだもの。教科書の内容だけを教えているからかな。生徒の興味を引けるような雑談ができるわけでもないし、ためになるような話を出来るだけの人生経験もしてきていない。他の先生からは授業進むの早いねと驚かれた。どうしたらいい?前も言ったけど、自分が準備不足なことを痛感しているから、不安で不安で仕方がない。公立に就職した友だちが20時前まで学校にいるみたいなことをストーリーで言っていて、大変そうだなあとか勝手に思っていた。けど、ちゃんとにやればそれくらいになるわけで、自分は働き方改革という時代の波に甘えて、部活だけ楽しく見て帰っているだけだったのか。家じゃ仕事できないゴミだから、許されるなら20時とか21時とかまでだらだら職員室でやってたいよ。アメリカじゃあいつは仕事ができない奴だと思われるだろうけど、ここは日本だし。いや、日本でも仕事できない奴だと思われるか。

 というかこの文章を書いている時間もきっとちゃんと教材研究しないといけないんだよね。毎日23時くらいに寝る健康生活しちゃっているからな。とことん自分に甘い。本当にダメ。今日は午前中部活、明日は一日大会、来週の土日も丸々大会。あれ、教員てもしかしてブラック???これにプラスして授業が入ってくるんだもんなあ。いや、実際は授業にプラスして部活動なんだけどさ。

 

 話が飛んだ。授業のことだよね。今は一年生がオリエンテーションで居ないからいいけれども、来週からは帰ってきて普通に授業が始まるし、なにをやらせたらいいかわからないし本当に怖い。まずやらせるという意識がいけないんだよねきっと。人を相手にするってすごく難しい。もちろん、どんな仕事だって向こう側には人間がいるわけだけど。でも、教師って少しタイプが違うじゃん?対等じゃなくて教える立場。向こうからしたら先生が正しいし、学びは先生から与えられるものだ(最近はアクティブラーニングとか自分で課題を見つけて解決する能力とか言われているけど今はスルー)。だし、自分の裁量一つで一人一人の学習内容が変わってくるというのも割とプレッシャーかも。教師になるならその覚悟もあるはずなんだよ。でも、大学生の自分にはそれが分からなかった。社会に出て、今更痛感している。他の人はどうなんだろう。ちゃんと先生出来ているのかな。自分だけがこんなにもダメダメなのだろうか。生徒に不安な姿はきっとあんまり見せちゃダメなんだろうな。けど、つい口にしてしまう、ごめんねとか、わかりづらいよねとか。自分を守りたいだけなんだろうな。分かりづらくても堂々とやる方が立派かな。きっと生徒から見てもいっぱいいっぱいな先生だなとか思われているんだろうなあ。空いている時間で他の先生の授業とかも見に行きたいけれど、そんなこともできないのが現実。嗚呼、どうしたものか。この文章を書いていても何も現実は変わらないのに、こうやってただ書き連ねることが今はただ楽しい。誰に宛てるわけでもないし、誰かが返事をくれるわけではないのだけれども、現実逃避の一種なのかな。

 

 自分は歌とか本とかに救いを見出せないタイプで、この歌に救われましたとか、このセリフが人生を変えてくれましたとかたまに聞くけど、そんなことある?いい歌だよ、すっごいいい歌。だけど聞き終わったらまた現実が出てくるし、なんなら聞いている途中でも「あ、そういえば嫌なことあるんだった。」とか思っちゃうタイプ。心が冷めてるのかなあ。人生楽しめてなくて笑う。歌は救ってくれない。音楽に力はある。けど自分の燃料はそこじゃないみたい。けど歌は好きだよ。映画のエンドロールを見るとなぜか死について考えてしまう。スタッフとかの名前がバーッとならんで、この人にも家庭があるわけで、きっとこんな人でとか勝手に想像して、そこからなぜか自分の人生の事を考え始めて、死んだらどうなるかを考えて一人でうげってなってる。

 

 こんなんじゃ自己肯定感なんて上がらないよなー、こうやって鬱々としたものを吐き出し続けている限りね。どうにか、なんとかして、今を変えたいよ。

 

 コーヒー二杯飲んだのにすごく眠い。カフェイン仕事しろ。環境に慣れたらもっと楽に生きられるかな?どちらかというと慣れていない今が苦痛過ぎてどうにかしてくれよって感じ。慣れたらストレス的なのも減って、長く起きれるようになってたくさん仕事できるようになるだろうか。それがあんまりいいことじゃないのは分かっているけども。

 

 明日は顧問として初の大会です。2週間くらいしか見てないけど、いい子たちだから何とか勝たせてあげたいね。今更技術的なことは何も言えないけど、メンタルコーチ的なアレでいれればいいや。

 あー、また一週間が始まっちゃうね。もう4月、まだ4月?不安とかどんよりがスパーンと綺麗になくなる解決策ってないものかね。そんなものあったら苦労しないか。もがいて苦しんだ先に光を見出す?もがきたくないし苦しみたくもないと言ったらそれはすごい甘えだよね。分かる、でもそんなに強くできていないからさ。

 

 コミュニケーションをとってくれる人たちに救われてるな。一人じゃないって思えるのは安心する。他人よりもかなり狭い人脈だけども、大事にしてきてよかった。他人より狭いからなおのこと大事にしなきゃなのか。たまにバサッと全てから消えてしまいたいことがあるけれど、セーフティになってくれている。

 

 終わり方いつも分からないな。上手くまとめられない。取り留めのない話とはこのことか?それも良いよね?良くないか。

 

 余裕がないときに書きに来るかな。余裕はないのに文章を書く時間はあるのかとは思わないでください。そう云うもんじゃないから!!!

 

 またね。

 

くすみカラー

    初出勤からもう少しで一週間。まあ毎日が長いね。今まであんなにあっという間だったのに、一日がすごく長く感じる。家に帰ってきてもすぐ眠くなっちゃうし、授業準備とかもしないといけないのに何もできない。ホントは学校で残ってやりたいけど、残業申請出すのがめんどくさくて帰ってきてしまう。いや、出せばいいじゃんて思うかもしれないけどさ、管理職の人に「こいつ稼ぐ気だな」とか「空いてる時間でやれよ」とか思われたくなくて強がってしまう。残業もないけどなにか進捗があるわけでもない。そんな感じ。

 

    明日はいよいよ始業式。初めて生徒の前に立つ。不安だけ、楽しみなんて一ミリもない。どんな話をしようか考える余裕もない。自分が高校生だった頃はどんな挨拶をされてきただろうか。自己紹介の時、卒業生ということを言うか悩む。あんまりアピールするとなんかマウントみたいに思われそうで嫌だから。相談したら新任であることすら言わなくていいんじゃないかとまで言われた。確かに、人より老けて見えるしそれはありな気もしてきた。

 

    キラキラした高校生の前で挨拶するのは、今の自分には厳しすぎる。つい最近学生というキラキラを失った(元からそんなに輝いていない)人間が、純度100パーセントのキラキラを浴びてしまったらどうなることか。自分が惨めで惨めで逃げ出してしまいたくなるに違いない。もうくすんで枯れていく一方だと自分でわかっているからこそ、その現実が怖い。くすみカラーは好きだ。パキッとしてないけどカラフルって感じがして、少しだけ個性がある感じがして、ホントは目立ちたいけど目立てない感じがして、どこか自分に似てる感じがして。キラキラからくすんでいくばかりの自分と重ねあわせてしまう。くすみカラーの方がカラフルな気がしてきた。

 

    不安なのは自分ができないとわかっているからだと、中学の先生が教えてくれた。自分に心当たりがあるから不安になる。力不足、底につく自己肯定感、嫌な過去。そんなものが自分にあるから不安が止まない。先のことで不安がっても仕方ないってよく言われたことを思い出す。そういう性格だから。起こりもしないことばかり考えて、ネガティブになっていく。いつだって考える未来はモノクロな気がする。

 

    こうやってブログを書いてる時間を授業作成にあてればいいのに。どこからかそんな声が聞こえてきそう。もう既になかなか眠たい。あまり考えないで文章を書いたから恐らく何が言いたいんだこいつはとなっているに違いない。本当に書き散らしただけ。

    新年度一発目にはあまりふさわしくないけど、それも自分らしくていいかもね。

 

    そういえば23歳になりました。ありがとうございます(?)インスタ・TwitterのIDが進化したのは気づいた?これを楽しみに一年間生きてたまである。この数字が24になるとき自分はどうなってるかな。まだみんな仲良くしてくれてるかな。そうだったら嬉しいな。今年は自己肯定感をあげることを目標に生きていきたいと思います。みんな、任せた!(???)

 

    またなにか気持ちが大きく変化したときにきます。多分すぐ。いつもこんなこと書いてるけどほんとにすぐだもんな。読んでくれてありがとう。いつもいつもいつも。

 

    新年度もみんな充実するよ。心配することなし!!根拠ないけどそんな気がするから。

 

    またね。

 

    

卒業だね

 沖縄から帰ってきて、まあいろいろあって今はメンタルブレイク中なわけですが。

 いや、常にメンタルブレイクしているなかで調子がいいか悪いかだけの人間だから、その考え方でいくと調子は最悪。明日(3/18)はなんか本当に行きたくない飲み会が予定されていて本当に行きたくないです(本当に行きたくない)。

 

 沖縄にいたからなんとか気持ちあげて生きていたけども、千葉に帰ってくると希死念慮マシマシだ~。メンタル雑魚、ホントに。Twitterにも挙げたけどうつ病診断みたいなのやるとどのサイトでも中程度って診断されるの本当に終わっている。このメンタリティで教員をやり遂げることができるだろうか。いやできない。(反語)

 

 ここの文章でこんなに饒舌だったことあったっけ。やはりメンタルの状態と序文的な文章のテンションは反比例するんだな。今日は卒業式のこと書こうかなって思ったけど、そんなに書くことも無いから沖縄の話とかメンブレの原因について話そうかなあ。その時の気分で決めよう。うん、それがいい。

 

 大学の卒業式は卒業という実感を与えてくれるものではなかった。すごくヌルっと始まって、ヌルっと終わった。小学校の卒業式の呼びかけ練習は今でも忘れない。「柔らかな春の日差しを浴びて」「桜のつぼみも膨らむこの良き日に」「小糸小学校を卒業される六年生の皆さん」「ご卒業おめでとうございます。」「(いち、に)」「おめでとうございます!」「いま、そっと目を閉じると」「あの日、あの時の思い出が」「昨日のことのようによみがえってきます」「(いち、に)」「よみがえってきます!」以下省略。考えてみればすごく広く感じたあの体育館だって、今見ると大学の教室の方が広く感じたりするのだろうか。あの頃が一番輝いていた気がする。どこかで道を間違えたなどというつもりはないが、少しずつ良くない方向へと進んでいってしまったのだろうか。じわじわと、遅く効く毒のように。

 

 中学の卒業式はあまり思い出せない。在校生として出席し、卒業生の名前を延々と聞いていた記憶しかない。自分が卒業生としてどのように式に出席していたのか本当に思い出せない。この時点でなにかに毒されていたのだろうか。自分が一番だと思っていた小学生から、いろんな人がいる中学で現実みたいなものを知ってしまったのだろうか。その時点でこの性格が形成され始めていたのだとしたら納得がいく。大体笑われる方で、黙って従ってれば上手くいくと思っていて、だから自信が持てなくて、こんな感じで卑屈になってしまったのかもしれない。自分を貫くだけの強い意志のようなものがもとから備わっていなかっただけの問題かもしれないが。

 

 高校の卒業式は呼名に真剣だったことを覚えている。あとは来賓のお座りくださいには従ってはいけないこと。涙は出なかった。クラスの女の子が一人、悲しさのあまり立てない状態になっていたのはよく覚えている。その人にとってここはそれほどまでに大きな存在だったのだなと痛感した。基本的に誰にでも明るい人だったけれども、無理をしていた部分もきっとあったに違いない。卒業してからも何度か連絡を取り合ったけれども、すごく大変な思いをしているようだった。人に優しすぎるが故に自分を殺してしまっていた。少しでも良くなっていてほしい。

 

 大学の卒業式は練習もないし、いい姿勢を保つ必要もない。来賓の長い挨拶もない。卒業式と名のついた仮装大会みたいであった。この例えは上手くもないし褒められたものでもないが、卒業の実感は本当に湧かなかった。仲良かった人で、今生の別れになる友達もいたかもしれないのに最後のサヨナラを言えなかった人もいる。けど不思議と寂しいなどと感じることもなかった。自分が冷めているのかと不安になる。大学はいわゆる陰の者だったが、他人を貶すことがない友達ばかりだったから毎日楽しく過ごすことができた。大学生らしいことも一応色々経験した。後悔していることは少しあるけれど、どうしようもない。今が楽しければそれでいいとなるかもしれないが、今は楽しくないのでそうはいかない。ずっとマイナス。

 

 沖縄は楽しかった。話すことは九割恋愛のことだった。あの人かわいいとか、沖縄にも彼女を作りたいとかふざけたことを言っている奴もいたが、それを許容できるくらいに心が落ち着いていた。あの瞬間までは。沖縄は本当に観光客ばかりで、現地の人は店員さんくらいしかいないのではないかと思うくらいだった。カップルも多かった。すれ違う度にメンタルを削られていった。ずっと羨んでいた気がする。と同時に大切にするんだぞという謎の上から目線も持っていた。男同士の旅行ももちろん面白いが、やはり好きな人とどこかに出かけるという経験は何にも代えがたいものがある気がする。

 

 先日仙台に行った。写真を撮っているときや食べているときの横顔を撮るのが好きだ。自分だけの画角だから。カメラを向ければポーズをとってくれるし、触れることはなくとも二人でいるという事実が心地よかった。本当は仙台に行く前に想いを伝えたかった。けれど失敗したら旅が壊れてしまうと思って言い出せなかった。いや、それを理由に逃げていただけかもしれない。沖縄から帰って、ちゃんと言おうと思っていた。四月から社会人になるから、ダメでも悔いは残らないし、すっきりすると思った。

 現実は甘くない。沖縄にいるとき、相手から彼氏ができたと報告された。ホテルの駐車場を歩いているときだった。全身が冷たくなった。血の気が引いたとでもいうか、何の気なしに開いた通知がそれだったので、なおさら響いた。伝えて、振られたのではない。そもそもそのステージにも立つことがなかった。人生は一度きりだから、恐れずにチャレンジしたほうがいいと、頭ではわかっている。行動には移せない。自分の事が本当に嫌いになった。ご飯の味なども思い出せない。ただ、夜中に散歩行くわといって部屋を出て、ホテルのラウンジで電話を掛けたことは覚えている。5分も話さなかった。自分の想いを伝えて、感謝をされて、これからを応援された。ただそれだけ。その時の行動が正しいのかは分からないけれども、自分の声が情けなく、絞り出されたようなものだったことは忘れたくても忘れられない。

 この後ももちろん沖縄旅行は続く。少しでも気丈に振る舞おうとたくさん写真を撮ったし、笑顔でいることを心がけた。自分の笑顔は好きではないが。ダメージがないと主張したかったのかもしれない。いや、そう自分に言い聞かせていただけかも。

 渡すはずだったお土産もホワイトデーも行き場を無くしてしまった。人の為に買ったのに渡すことができないってすごく辛い。このような思いはもう二度としたくないと強く感じた。

 

 正直想いを伝えたのを今は少し後悔している。何もしなければ今まで通りただの友達でいられたのかもしれないけれど、伝えてしまったからにはそうはいかない。相手に気を遣わせてしまっているのが痛いくらいに分かる。将来的に見ればこの判断が正しかったのかもしれないが、今は何も良くない。成長についてブログを書いたのもこの出来事がきっかけだ。今までの自分だったら想いを伝えずに隠し通していたけれども、伝えるということで成長できたのかもしれないと思いたかったから。

 

 そう考えると仙台旅行は神様がくれた最後の輝きのようなものだったのかもしれない。お前はこれから絶望の淵に立つから、最後くらいは楽しい思いをさせてやる。といった類の。新幹線ではしゃいだのも、ずっと他愛もない話をしていたのも、カラオケで騒ぎ散らかしたのも、おみくじを引いて笑いあったのも全部いい思い出。写真を見返すのが好きだったけれども、今は見たくもない。相手の人の中で、少しでも自分という存在が生き続けてればいい。それくらいしか今は。

 

 こういうことがあったから、街行くカップルを見て羨んでしまう。幸せは続かないから、相手の笑顔、その触れ合いを大事にしてほしいと勝手に思ってしまう。ミジンコ以下の自分が他人の恋愛に口を出すのはどうかと思うが、今ある幸せを噛み締めてほしい。ちゃんとに想いを伝えた人間の皆なら絶対できる。遅れて想いを伝えることでやっとミジンコを卒業(?)したばかりの自分とは違うのだから。

 

 今回の文章ホントに重いな。今は深夜テンションで書き上げてしまっているけど、これ後で見たらすごい死にたくなるのかな。今も死にたいけれども。女々しさ全開って感じでマジで鬱。じゃあ書くなよって言われるかもしれないけれども、行き場のないこの気持ちをどうにかしたいのは事実だから。ストーリー載せるときにちゃんと女々しいことと長いことと重いことを注記しておかないとな。あ、Instagramサブ垢始めました。

【@moyshi22】です。よかったらフォローしてね。長続きする気しないけど。あーでもこのブログ見れてる人は大体こっちからフォローしちゃってるからアレか(アレ)。

 いつもより文量が二倍くらいになっちゃったな。大学3年の期末課題くらい書いたわ。まあ、だからストーリーとかで自分を見たら、あ、こいつ失恋したのに頑張ってんなくらいの気持ちで見てください。それだけで救われる命もあります。

 

 卒業式の話からなんでこんなに重たい話になっちゃったのかな。書いたの自分だけど。ここに来るときは逃げたいときだから、少しでもブログの更新頻度が下がればいいな。書いてるときは調子悪くて、何もないときは充実しているんだなって感じ。就職までにもう一回くらい書く気がするけど、まだわからないや。もしここまでちゃんと読んでくれている人がいたら、本当にありがとうございます。よくここまでたどり着いたものだ!こんな文章をちゃんとに読んでくれてありがとう。本当に救われています。いや、本当だよ。

 

 キリもいいのでここらで終わろうかな。夜中から朝になってしまったけれども、少しは気持ち軽くなったかも。重ね重ねいつもありがとう!

 

 またね。

 

番外編

はいさい!めんそーれ!沖縄からこんばんは!

こんな明るいブログだったっけ、やめよう。

めんそーれっていうとメンソレータム(緑のパッケージの軟膏みたいなやつ)が頭をよぎる。

いつもはpcからだけど、今日はスマホから。出先で書きたい気分になったから。pc以外でも書けるようになったとか成長だね。

番外編だからめっちゃ短く書くよ。

 

成長は目に見えない。どうしたら成長したことになるのか。その線引きは曖昧だし、ミジンコ以下が人間になったとして、それは成長と呼べるのか。自分がなにかいい経験をしたとして、それだけじゃ成長とはいえないし。今までだったらしないようなことをしたらそれは成長したことになる?

 

いつも言ってる。過去の自分が今を作っているから、あとから考えた時にいい経験だったと笑えたらいいなって。そうでも考えないと強く生きられないから。いや、強く生きてたことなんて一度もないんだけどさ。

 

自分の目標とか決意表明に強く生きる、頑張って生きるって書きがちなんだけど、そんなことを目標にしてる時点で強く生きられるわけないんだよね。強く生きるためにはどうするか、どういうマインドを持って、どういう人間として生きていくか考える必要があると思う。まあそもそも強く生きるってなんだよって話なんだけど。

 

旅先なのに書いてることいつもと変わらないの面白いな。もう少し沖縄感出した方がよかったか?

夜中に書いてたら寝落ちしちゃって、結局この時間に書いてる。なんて健康的。

卒業についてとか、その他もろもろまた千葉に帰ったらちゃんと書くかも。

今はこんなものでいい。ただの書きなぐり、壁打ち、ひねくれた独り言でも外に出さないよりはいいと思う。

 

いつも戯言に付き合ってくれてありがとうございます。

またやーさい。

bugaihi

 最近見たアニメの中に「逃げたら一つ、進めば二つ」というセリフが出てくる。逃げたら「負けない」が手に入る。しかし進めば、進んだことによる「自信」、進んだことによる「賞賛」、進んだことによる「成果」等々が手に入るというもの。この言葉の好きな部分は「逃げる」という行為を一度肯定している部分だ。「逃げても一つは手に入るよ、でも進めば二つ手に入れられるよ、君ならどうする?」みたいな感覚。似た言葉に「やらぬ後悔よりやる後悔」というものがある。けどこれはやらないことを肯定してはくれない。「やらない選択肢はない、やるのみ」みたいな圧を感じる。

 人生は一度きり、思い切りよく、たくさんチャレンジして、経験をした方がいいことは分かっている。けど、いざ行動に移せるかどうかと聞かれたら簡単には首を縦に触れない。ビビりだし、起こってもないことに対して延々と考えを巡らせてしまう。そんなメンタルだからこそ、「逃げる」行為を肯定しつつも背中を押してくれるようなそのセリフが心に留まったのかもしれない。

 

 いきなり主題に入るのは違うと感じたので少しクッションを置いてみた。頭ではわかっているつもりなのに行動に移せないの本当に雑魚。友達にもよく言われる。エピソード0が多すぎる、思い切りが足りないって。そんな友達について少し。ね。

 今から書くのは自分たち十数人だけの部外秘ということで。それと、書く時間は最大でも一時間にしよう。あんまりだらだら書くとリアリティばかり出てきてしまっていけない。

 

 友達にAというやつがいる。Aには付き合って4年くらいになる彼女がいて、毎日幸せそうな感じ。自分はあまり彼女さんに会ったことがないけどきっといい人なのだろう。Aと4年も上手くいっているのならそれなりに心が広い人なはず。

 Aは最近口癖のように「彼女以外の女の子とご飯行きたい」と言っていた。自分の事を理解してくれて、一緒にいてくれる相手がいながらこいつは何を言っているんだと思った。ある日、「Bに電話してみるわ」と連絡がきた。BはAの元カノ。すでにドロドロしてきた。最初の電話は切られたらしいが、その後すぐにDMが来たことが喜んでいた。きっとそのDMで色々やりとりをしたのだろう。飲みの予定が立ったことを律儀に報告してきた。BはAに彼女がいることを知っていながら予定を立てているのもすごいなと思った。Aは毎回ちゃんとにDMの履歴は全て消して、名前も予測変換から消しているらしい。

 

 飲みは健全には終わらなかったらしい。お互いなぜか帰れなくなり、手を繋いで店を出て、夜の街に消えたらしい。(A談)

 

 すごい以外の言葉が見つからなかった。Aみたいなタイプがきっと人生楽しく、得して生きていけるんだろうなと思った。いつも自分が襲われている得体のしれない不安とか、きっとこれから触れ合うことはないのだろう。それはもちろん、それはそうさ。

 

 確か明日明後日で横浜泊まりデートするみたいなことを言っていた。「Bがご褒美くれるらしい」って喜んでた。泊まりってもうなにも言い訳出来なくなってしまわないか?前回はお酒の勢いで~とかなんとか言えるかもしれないが(言えない)、もうちゃんとに予約取って泊まったらそれはもうばれた場合には逃げられないのではないか。

 

 そんなバカでかいリスクを背負いながらもしっかりと楽しんでいるAは本当にすごい。尊敬のすごいではない。恐れからくるすごさだ。メンタリティや思考などはいつだって正反対なものだ。

 

 着地点が見つからないけど、時間もそろそろまずい。ただ、約4年も一緒にいる彼女さんのことを傷つけるのだけはダメだと思う。もちろん、これまでの行為やこれからの予定などは十分傷つけることに値してしまうと思うが、彼女さんはまだ知らないのだから傷ついてはいない。バレなければOK。というわけではないが、この先の事を考えるのであれば、最後の火遊びのような形で静かに終わらせるのがいいのではないだろうか。これをもし知ってしまったときの悲しみはきっと想像もつかないようなものになると思う。

 

 彼はいつだって進むという選択肢を取り続ける男なのだとこの文章を書くうえで考えてみて感じた。自分はいつだってローリスクローリターンな人間なので、リスクを取るという選択をあまりしてこなかった。けどきっとどこかの場面でリスクを取らないといけなくなってくる。そのとき自分は進めるのだろうか。急に前を向けるようになる?少しづつ練習しないと。

 

 余談だけど、毎月16日は閻魔縁日といって死者の生前の行いを閻魔大王が裁く日とされてるみたいですね。余談だよ。

 逆から読んでも余談だよ。じゃん。五・七・五じゃないよ。

 

 なんか最後の決め挨拶みたいなのほしいな。

 募集します。

 

 また逃げたくなったら来る!