理由

 インフルエンザが校内で大流行していて、体育祭も延期になって、部活も自粛を要請され、三連休。金曜日は学年閉鎖にまでなって、先生方は授業回数ですごく悩んでいた。中間考査まで金曜消えがちなんだよね。9/8は台風で休校だったし、今週は学年閉鎖、10月の頭には創立記念日で休みだし。予定していた漢字テストとか授業の内容とかもろもろ変更を余儀なくされて非常に辛い。そこまでの対応力は元からないし、ただでさえ手探りでやっているのに色々とかき回されている感覚。上手くいかないことばっかり。部活にも不安の種ができた。部員の一人が起立性調節障害と診断された。大学の講義ではやったけれどもまさかこんなに早く実例と出会うとは思わなかった。元々その子はすごく明るくて人懐っこくて、誰にでも愛されるタイプ。でも本当の性格はすごくネガティブで気にしいでよく気が回るタイプ。すごく自分と似ていると思っていたし、MBTI診断の結果も自分と同じ提唱者らしい。普段からストレスのようなものは抱えていたみたいだけど、修学旅行の班決めでハブられた(言い方)らしく、それが決め手になったような気もする。熱が出て、体がだるくて、午前中はとても動けなくて、夜になればなるほど元気になるって。自分は何を言ってあげたらいいのかわからなかった。診断後初めて学校に来た時は午後から来て、すごくだるそうだった。とりあえず来たことを褒めて、遅れてでもいいから来ることが大事だと思うとも伝えておいた。けど本人はそう思ってないようで、すでに勉強も遅れをとっているし、最悪通信に転学も考えてると言ってきた。ついこの間まで誰よりも元気に部活に来て、熱心に練習をしている姿を見ていたからこそ、残酷すぎる現実だった。部活もやめるかもと。プレーヤーとして続けるのは正直厳しいからやってもマネージャー、でも午前練には来れないと思うし、練習試合などでも集合が早ければ来れないかもしれない、そんなのがマネージャーで良いのかと悩んでいた。

 どうして、この子がこんな思いをしなければならないのか。よくあるドラマのセリフがすぐそこにまで来ていた。みんな〇〇がいないと寂しいと思うし、俺もいてほしい。無理をいってるのはわかってるけど、極力辞めないでほしい。ストレートに伝えすぎたかな。でもそれ以外にわからなかった。診断される前日、熱があるから部活に参加させずに帰した。インフルも流行りだしていたので部内での流行を避けたかったから。その子はすごく嫌がってた。「私が学校に来る理由は部活しかないんですと、部活のために学校に来ているようなものなんです」と駄々をこねていた。その時はほかの部員と「今日お休みして、大丈夫なことを確認してからまた部活に来ればいいじゃん。インフルでもコロナでもないなら、その証明をしてからまた部活に来な?」と話した。自分は彼女の学校に来る理由というものを一旦でも奪ってしまったのかもしれない。その時点で熱は確かに37度あったけど、本人の意思を汲んで部活に参加させてあげていれば、気持ちも少し晴れて起立性調節障害という最悪の結末にならなかったのではないか。

 自分に今できることは何なのか。何をしてあげられるのか。ほかの先生は「確かに病んじゃう前に転学はありだよな」とか言ってたけど、自分にはその意味が分からなかった。出会って半年経ってない自分がこんなにも居なくなってほしくない、部活のみんなも悲しむし、どうしたらいいのかわからないと思っているのにそんなに軽々と居なくなる選択肢を肯定してほしくなかった。長年先生をやってれば転学退学には慣れっこかもしれないけど、自分にはまだその気持ちの余裕はなかった。できるなら持ちたくない余裕でもある気がする。

 

 自分がブログを書く理由。去年の大晦日に一年の振り返りを書いた。急に振り返りを書きたくなって、それが一番最初。

 

 ではない。高校生のころから秘密裏にかいていたlineブログなるものが存在している。今はもうサービス終了してしまっているので誰も読むことはできないが、自分の文章の原点はそこにある。高校生の頃から気持ちの揺れ幅が大きかった(特に人間関係で)自分は、その時の気持ちとか願望とか絶望を人知れず書きなぐっていた。若気の至りと言ってしまえばそこまでだが、今思い返せば顔から火が出るような言い回しばかりしていた気がする。サービス終了してくれてありがとう。大学に入ってからは比較的落ち着いていたけど4年生になってからはいろいろありすぎて、落ち着いていた心が動き出してしまった。文章にいろいろぶつけたくなってしまったのだが、書きだす口実がなかった。だから大晦日というイベントに便乗して書いてみた。その後は引っ越しや就職など、イベントに合わせて書いてみた。やはり何かイベントがあるとそこに絡めて書くことができて内容も整理しやすい。でも、それは個人的にいい文章ではなかった。引っ越しのはまだいいかも?

 だけどもやはり自分が一番書いていて納得がいくのはやはり気持ちが落ちたり、不安な時に書くような絶望と現状だけがわがままに書きだされたあの文章たちだ。仙台以降の働き始めてからのあの文章たちが一番自分の中で輝いている。誰かのためではない。自分のためだけに書かれたあの文章。読んでもらいたいけど読んでほしくない、言葉にするには重たすぎるけど、でも確実に誰かに伝えたい、分かってもらいたいとおもって毎回激重くそネガティブ文章を自分は書いている。数少ない本当の自己表現のために書く。それが理由かもしれない。めっちゃかっこつけてるけど、このブログの中で何かを偽ったことは本当にない。それくらい自分という人間がしみだしていると思う。いいのか悪いのかわからないけど、自分は気持ちが落ちているときにしか上手く文章が書けない人間。うまく書けないから死にたいとは考えないし、死んじゃダメって大事な人に言われたから死にはしないけど、明るいいい気持な時にこそ良い文章が書けるようになりたいよなあとか思ったりもするわけで。でもいま明るい理由についての文章書くとただのバカ重感情垂れ流し恋文になってしまうのでやめておこう。多分書いたら重くて引かれちゃう気がする。いや、いまさらそんなこと言うのも遅いか。要相談だね。

 

 なんで理由の話をしてたのにこういう風に決着がついたんだ?

 書くねって言って書いたからかな?でもあんなに特別感のあるもの聴かせてもらったらそりゃお返ししたくなっちゃうじゃん?まあいいか。理由なんて人それぞれあるし、正しいも間違いもきっとないよね。自分がそうしたかったからしただけ。カッコつけてるけど、ほんとにそうだから。

 

 自分がしたいからそうしたってすごく難しいことだけど、胸を張ってそういえるように教員一年目頑張っていきたいです。あんまりやりすぎるとクビになっちゃいそうだけど、できる範囲なら、ご機嫌取りばかりじゃなくて自分がそっちだ!って思った方に進んでいきたいな。

 

 まあ、そんな人間性してたら多分こんなにナヨナヨしてないんだけどさ。それでもそばにいてくれる人を大切にしたいです。

 ここまで読んでくれてありがとう。

 

 またね。