サマバケ(仮)'

 「暮夏のみぎり、皆様ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。」

 暮夏というのは夏の暮れ、つまり夏の終わりを指す。「暮」には季節・年・人生の終わりの時期という意味があるらしい。それと夏を組み合わせて「暮夏」と呼ばれている。どう?国語科っぽい?ちなみに↑のあいさつは8月中旬の挨拶を調べたら出てきた。

 お盆が終わるといよいよ夏が終わる気がする。近頃の夏はお手頃で良い。外に出るだけで夏らしい暑さを感じられるからね。最近は9月まで普通に暑いけど。そう考えるとお盆を過ぎて終わるのは夏ではなく夏休みなのではないかと思うわけで。この時期少し憂鬱になるのは小中高の12年間毎年この時期を辛く感じてきた名残なのかな。ああ、夏休みが終わる。宿題終わってない。24時間テレビがもうそろそろだ、とか。考えてた気がする。あとは花火大会が始まるとそろそろ終盤か~となる。(どうして後半に花火大会やるんだろうか。7月の真ん中とかでやってくれよ。などと誰にも共感されることのないわがままをここに書き残しておく。)社会人に慣れたらだんだんその感覚も薄れる?教職系だとどうせ長期休みという区切りがあるからずっとこの憂鬱さを抱えていそう。アップデートされない感覚。

 三連休が最大で、あとは部活とか学校見学会とか夏期講習とかの夏休みだった。サマーバケーションとはよくいったものだ。どこがバケーションなのか。ただのサマーだったよ。ほんとに。でももともと夏休みという概念すらない人もきっといる。尊敬しかない。大学生のころはあんなにも長い長い休みだったのに、1年後にはコレだもの。前日大量得点だったのに次の日には普通に完封負けを喰らう千葉ロッテマリーンズみを感じる。いや、それはさすがにみんなに失礼だった。

 

 自分は人付き合いがお世辞にも上手とはいえず、というか普通に下手くそで、遊ぶ予定とかなかなか立てられないし、元バスケ部とかから電話かかってきても一回無視してどうした?ってlineするし、出てって言われても無理っていう。なんか、仲がいいからこそ電話されるとうげってなる。要件だけ聞いてそっかバイバイができればいいんだけれども、できない。謎の会話タイムみたいなものが本当に耐えられない。でも深い仲の人とする電話は好きだ。文章じゃ伝えられないこともうまく言えるし、間違えてもすぐ修正できるし、自分は言葉の言い方(?)、ニュアンス(?)みたいなところで勝負をしている節があるので、相手に不快感を与えず、かつ真意を汲み取ってもらえるから電話が好きだ。じゃあ直接会って話せよとなるかもしれないがそれは違う。何度も言っているが本当に相手の目を見ることができないタイプで、相手の目を見ているということは自分も見られているということで、その恥ずかしさに耐えきれない。深淵をのぞく時~のやつみたいになったけど。首元、相手の後ろ、足元を延々と目線がループする感じ。たまにめっちゃ目を見てくるタイプの人いるけどすごいなと思ってしまう。自分とはタイプが違いすぎる。

 電話はいいところだけではない。やり取りがその場限りになってしまうのが少し悲しいポイントでもある。何を言っているんだこいつはと思われるかもしれない聞いてほしい。電話ではこう言ってもらえたけど、その場限りだったらどうしようなどといらぬ心配をしてしまう。また、自分の言ったことが相手の中にちゃんと残っているのかどうか不安になってしまう。いや、残すか残さないかは相手の選択だからどうしようもないのだが、自分の伝えたいことがもしうまく伝わってなかったらと思うとすごく寂しくなってしまう。でもそれを補って余りある利点がそこには存在しているから、やはりいいものだなと思う。声色とかを感じることができるのは何よりも幸せなことだ。久しぶりになんだかそういう時間を過ごせたのは枯れきっていた自分の世界を鮮やかに彩り、いつも病みがちな自分の気持ちを落ち着かせてくれるものだった。この夏休み本当に枯れ果てずに過ごせたのも。きっとね。でも電話が終わってしまった後の一人に戻る時間はどうしても「ぐぐぐ、、」となってしまう。その寂しさを紛らわすためにまたしたいと思ってしまうのかもしれないけど。まだ言いたかったことも色々残っているから少しずつ言えたらいい。なんか重要なことって電話中の脳内話題ボックスから消えていってしまって、終わった瞬間に呼んだ?的なテンションで出てくるの本当に腹が立つ。お前が必要だったんだよあの時間には!!となる。これもきっと共感されない。ただでさえ話にまとまりがないのに、伝えたい内容たちがいなくなってしまうともっと話が散らばってわけわからなくなってしまう。この文章ですらすでにサマバケとは全く無縁のものになっているというのに。でも、急にそういう話がしたくなったっていうのはそういうこと。世間は木更津花火大会だったけど、そんなことも話題にならないくらいだった。いや、そんなことを話題にするのは野暮だった。確実にね。

声聞きたいな。よくばりかな。自分。すごく幸せで、気持ちも満たされている。なのにどうしてもっとほしくなってしまうのか。失うことは考えたくないけど、求めてしまえばしまうほど、失った時の反動は大きい。それでも、「一緒に」をたくさんしてみたいと願うのはきっとよくばり、だよね。

いい言葉には何回も疑心暗鬼になるくせに、悪いニュアンスにはすぐ被害妄想を膨らませてしまう。おバカさんです。でも、自分の気持ちはまっすぐ。伝わってたらいいな。また願望。やっぱりよくばりな自分。叶えられる日は来る?また自分だけ舞い上がってたらどうしよう。悪い癖また出てるよ。なんてね。

(追記分)

 

 

 明日から普通に学校に行かなきゃならないのが辛い。夏休みなんてなかったし、この文章のタイトルが(仮)なのもそういうこと。SNSを見ればキラキラがあふれてきて、自分は何してるんだろうとなってしまう。けど、SNSをやめる勇気がないところが自分の弱いところ。いやなら見なければいいしやめればいいのにつながりがなくなるのが怖くて踏み出せない。いつか、そんな弱さも全部まとめて。

 

 サマバケというタイトルが仮なのか、夏休み(仮)だったなあなのか、分からなくなってきちゃったけどまあいっか。どうせ壁打ちだからね。文章に逃げたくなったわけじゃないよ。少しだけ自慢したくなっちゃったのかも。個人的夏休みの終わりがいいものだったんだぞーって。自分で言っといてなんだけど幼稚だ。あんまり人様に言うようなことじゃないのかもしれないけど、どうせ壁打ちだから(2回目)いいよね。許してくれると思ってる。いつもありがとう。きっとここまでちゃんとに読んでくれる人は少ないと思うけど、もし読んでくれてたらそろそろ安井検定とか合格できるんじゃない?

 次の文章それでいくか、、、、

 

 冗談です。

 

 何かに逃げたくなったら来る。来ないときは調子がいいってことだよ。

 でも今回は明るい気持ちだから要するに気分次第ってこと!

 

 またね。