明日話すこと

 新年度になりました。初めて教師として職員室に入り、いろんな先生にあいさつ回りをしたあの日からすでに一年とは。驚きを隠すことができない。自分にも晴れて後輩(?)ができて、下っ端から卒業したわけですが。それでも業界で見たらまだまだ下っ端なわけで。自分が何かを成しえたわけでもないし、誰かに感謝されるようなことをしたわけではないけど、一年を乗り切ることができてしまった。自分の誕生日には一日入学がある。今年から担任を持つことになったわけだが不安は絶えない。絶対上手くいくはずがないのに。どうしてこうも失敗を恐れてしまうのだろうか。仕方ないことだと頭では理解していながらも。自分が望んだ職業に就いて、夢を叶えたといっても過言ではないのにどうしてこんなにも気持ちが落ち込むのだろうか。自分のクラスはどんなクラスになるだろうか。入学式、文化祭、体育祭、校外学習、全部いい思い出になるだろうか。来年の今頃「安井はハズレだった」とか言われてないといいな。少しでも、クラスの子にとっていい一年になるといいな。なるといいなというか、行うのは自分なのに他人任せな言い方するの本当にいけない。自分がその大きな要因を占めるという自覚をもっと持たなければ。

 

 明日の練習では部員が全員揃うから、新年度の所信表明でも行おうかな。今回はその下書き?メモ書き?みたいなもの。適当に書き連ねる。

 今年も顧問をすることになりました。一部では紅陵の先生が来るみたいな噂もあったらしいけど、そうじゃなくてごめん。昨日からそういう噂があったらしいから、自分が顧問だというのが少し怖かった。県に連れていけるような人が顧問になるってワクワクしてたのを壊しちゃったらどうしようって。でも、自分が続投って伝えて安心してくれたり、顧問変わるの嫌だって言ってくれてる人もいいて、顧問やっててよかったなーと思った。

 

 少しだけ暑苦しい話

 

①声を出そう

 最近言い始めているけど、練習中もそうだし試合中ももっと声を出そう。練習つらいめんどくさいあるかもしれないけど、一人がつらいときはみんなつらいよ。つらいのにつらいーって雰囲気にしたらもっとつまらなくなっちゃうから。みんなで声出そう。恥ずかしいとか思わないで大丈夫。声にスランプはない。シュートはいらない・ドリブル上手くいかないはある。でも声出せないはない。声と元気でチームは救える。これは本当。練習から盛り上げていかないと試合で出せるはずない。おとといの練習試合見たけど、男子はゾーン組むとすごく声が出る。特に下の人たち。下の人たちはもっともっと声を出して上の人を助けないと。ハイポにいる、逆サイ切れるよー中居ないよーとかちゃんというだけでプレッシャーになるから。まだまだみんなは上手くなれる伸びしろしかない。

 

②挨拶しよう なんかかぶっているね

 新三年生までは野田先生に指導を受けたことがあって、言ってしまえば少し古臭い部活動って感じが残ってる。でも自分はそれがすごく好き。ちゃんと体育館から出る時もありがとうございましたってするし。いつも言ってるけど、体育館でバスケできるって当り前じゃなくて、したくてもできない場所に生きている人だっているわけで。

 新二年生は自分がゼロから見ている。みんなの代でその伝統みたいなものを終わらせてほしくない。三年生に比べるとまだまだ意識できる部分はあるよなーって勝手に思っている。もっとできるはず!って。三年生みたいに体育館出るときに一言言っている?伊東さんたちも無意識でやってたかもだけど、そのいい伝統みたいなものもみんなで終わらせてほしくない。入ってくる一年生にもそれが部のルールなんだってわからせてほしい。男子みたいにならないでほしい。先生の自己満じゃんて思うかもしれないけど。これは自己満。だってあんな風になってほしくない。強いチームってのはバスケが出来ればいいってものじゃないから。バスケ以外の面もすべて含めて強くていいチームになってほしい。新二年と新一年で上手くチームの雰囲気を作って、ルールみたいなものを浸透させられれば、きっとずっと続いていくはず。いつか来てしまうであろう自分が顧問じゃなくなる時が来たとしても、志学館の色として残っていくはず。これから数年後、みんなが卒業して、もし誰かが志学館に顔を見せに来てくれた時に、自分たちの時と同じだな、いい意味で変わらないなって思ってもらいたい。帰ってきたときに、挨拶もできない自分から動かないみたいな部活にしてほしくない。だから二年生に結構かかっている部分はある。

 もし一年生が入ってきて、挨拶やら報告連絡相談ができないってなったら、もちろんその子も悪いけど、指導できてない二年生も怒るからね。先に言っておく。これからは自分ができているからそれでいいを卒業して、じゃあ後輩は?っていうターンだ。

 三年生も二年生を今よりももっと気にかけてあげて。バスケの技術だけではなくて、残せるものは全部伝えて、残していってほしい。それが新年度のお願い。バスケ全然関係ないけどね。

 

 一つ目、声を出しましょう。練習中のきついときのファイトーでも頑張ってーでもいいよ。名指しで〇〇ファイトーでもいいよ。それだけで雰囲気ガラッと変わるから。試合中も同様にマークマンの受け渡しとか打っていいよセーフティいいよフリースロー入るよゾーンのコミュニケーション、ずっとしゃべって声出しててほしいくらい!

あとは言い忘れたけど、部長のいったことには返事しよう。前にも言ったけどみんなの代表なわけで、あれするよこれするよ言われたらちゃんと返事しよう。「はい」の二文字だけで今は理子だけど、これから部長をやっていく子たちの気持ちもすごく楽になるはず。

 二つ目、挨拶・報連相しっかりしましょう。挨拶は自分にだけじゃなくて体育館にもそう、使えて当たり前、バスケできて当たり前じゃないから感謝の気持ちを忘れずにね。日常生活だとすれ違った先生もそう、業者さんがきたらその人にもね。二年生がここで頑張れば絶対いいチームになる。報連相は大学・社会人になってもすごく大切だから今から練習ね。

 

 新年度早々うるさいなって思うかもしれないけど、ごめん。平成生まれだけど意外と精神論者で古臭い人間だから、そこだけは我慢してほしい。声出すことと挨拶報連相ね。二つだけ。まずは関東予選・総体まで頑張ってみよう。2024年度もみんなの前に立ててうれしいです!

 

 はあ、先にまとめておかないとうまく話せないからね。困っちゃう。多分うるさいなーて思われるかもしれないけどそれでもいいよ。今の伝統を守れるなら。精神論者で古臭い人間でもそれでもいい。自分が教わったこと習ったことをたくさん伝えていきたい。明日うまく話せるかな。またタブレットに転写しておこう。

 

 今回は本当にただのメモ書きみたいになってしまった。でも自分が大切にしていることが少しでもわかってもらえればいいかな。いい子たちだから大丈夫だと信じよう。

 

 またね。

 3月に入って、学年末考査も終わり、成績処理に追われ、卒業式に向けて忙しくなるシーズン。自分が初めて見た子たちが卒業する。そんな時期。何回も言っているように3年生は本当にキャラが立っていて、明るい。正直すごく思い入れがあるわけではないが、それでも卒業してしまうのかという気持ちになる。自分が生徒だった時の1年のスピードよりも桁違いに1年が過ぎていった。そんな感覚。

 

 部活もそろそろ卒部会を考え始めるころだった。ぼんやりと遠山先生と相談をして、2,3年生が登校する13,14,15のどこかでやろうという話になり、3月の予定を出す時点で14に仮決定し、みんなに伝えた。それで何事もなく終わるはずだった。

 3年生の一人から来れないという連絡が入る。友達とご飯の約束があるそうだ。自分は正直伝えた予定を後から変更するのが本当に苦手で(部員が相手でも申し訳なくなってしまう)、他の日付にするのが嫌だった。だが3年生のための卒部会。3年生がそろわないのは話にならないと思い、元部長に3年が揃う日はあるか聞いた。

 「13,14,15だとなさそうです。」とのことだった。遠山先生にも相談をする。

 全員が学校にいるその三日間で5人が揃わないなんてありえないだろ。ここでそれを許すと来年からもそういう空気になりかねないよと少し怒られた。卒業式後の日程でも提案をしたが、13,14,15でそろわない奴らがその他の日付で揃うわけないと言われてしまった。元部長は予定を入れたその子が悪いから別に抜きでよくないですかと言い出す始末。でも自分は全員揃っていてほしい。かといって別日にすると現役部員が揃わないかもしれない。現役部員が揃わないとそれはそれで遠山先生に先輩を尊敬する気持ちがないとか言われそう。でも現役の顔を立てるために14日にすると3年生は揃わないし、唯一無理を言って揃いそうな13日にすると、今度は現役生が揃わなくなる、、、

という負のループを延々と回っていた。何度も何度も元キャプテン、予定のある子と話をした。誰も傷つかない選択肢はないものかと。苦痛だった。3年生からも、現役生からも、遠山先生からもすべての方向から板挟みにされている感覚。自分の決断力と計画性のなさが招いたものだが。

 元はといえば14日に予定を入れた3年生がいけない気がしなくもない。自分はどうしてこうもそんな立ち回りなのだろうかと少しだけ辛くなった。

 結果として13日に行うこととなった。1年生は一人来れないようだが、それ以外来れるならそこでやるしかない。来れない子に関しては最初から休みですと遠山先生にいうとその子が可哀想なので当日体調不良ということにしようと思う。気を遣いすぎかな。

 でも、今の子たちが悪く思われるのはそれはそれで嫌だから。仕方ない。

 来年はちゃんとに早め早めに予定を立てるようにしようと心に誓った。

2023 hurikaeri

 なんだか大晦日の感じが全くしない。普通の寒い夜。紅白歌合戦を一度も見ていない。みんなはもっと大晦日感あるのかな。冬休みあっという間すぎるな。夏休み中に書いたブログで、「夏休みもあと3週間」とか絶望してたけどなんで3週間もあるのに絶望してんだ???どれだけ嫌だったんだろうか。冬休みなんて秒じゃん、、、

 3学期から日課表が変わるんだけど憂鬱でしかない。今までやってきたルーティンを崩される感じ? 月曜日は1,3だから気持ち作らなきゃとか、木曜は2コマだから楽できるなとかいろいろ気持ち整えながらやってたのにー!という気持ちになる。授業数一緒なのになんだか仕事が増えた気持ちになる。なぜ。

 まあ、うだうだ言ってても来るものは来てしまう(例:来年)ので、サクッと2023年を個人的に振り返りたいと思います。去年も同じようなものを書いたので興味があれば是非。↓

xylade.hatenablog.com

 

 2023年は就職とかでいろいろと変化の一年だった。まあ、普通に同級生は大体みんなそうかな。人生は一度きりだからいろいろな経験をした方がいいのだろうけど、どうしても楽な方、苦痛を伴わない方を選択してしまう。今もきっとそう。自分が苦しまず、楽できる道をただ歩き続けている気がする。去年の今頃は睡眠状態の悪さに悩んでたっぽいけど今年は早寝早起きをしていました。まあ、主に就職してからだけど。23時過ぎに寝て、6時過ぎに起きる。健康生活。人間て不思議なもので、ちゃんと寝るとメンタル安定するんだよね。夜勤やってた頃は毎日がクソだったけど、ちゃんと寝るようになってから割と気持ちに余裕がある気がする。まあ要因は他にもちゃんとあるんだけどさ。みんなもちゃんと寝ようね。こうして来年も睡眠事情が記されていくのだろうか。

 

 1月に就職決まって、年度末に初めて出社して、いろんな人と出会った。知っている人も多くて職場環境はいいと思うんだ。でも、だいぶ甘やかされています。自分で言うのもなんですが、、、甘やかされているのが自分で分かるくらいには甘やかされているから甘やかされているよね(?)来年度から担任とか任されたらどうしよう。三者面談とか個人面談で話すことないんだけど。今から戦々恐々。意識低すぎるよね。ごめんなさい。相変わらず時間がたてばできるようになるとかどうにかなると考えている節が多すぎる。本当にダメ。

 

 4月から授業が始まって、本格的に仕事がスタートした気がする。でも本当に難しい。主体的とかアクティブラーニングとか出来てなさすぎる。どうやってやればいいんだろう。この時からずーっと悩んでいる。上手くいかないことばっかり。ホントに。

 授業と同時に部活も見るようになった。副顧問スタートで数年後に主顧問かと思ったらいきなり主顧問スタートでビビるよね。3年生からしてもぽっと出の新任が急にコーチとかやりづらかっただろうな。ごめんね。1学期は毎日に必死すぎてそこまで記憶がない。ただうまく生きようと、ボロを出さないようにしようと必死に生きていた気がする。多分至る所で自分のポンコツさは露呈されていたけど。

 

 夏休みは部活漬けだった。名前の呼び方で悩んでいたのとか懐かしいな。今ではもう何のためらいもないけど。当時はかなり葛藤していたね。当時って程昔でもないけどさ。でも、たくさん悩んでよかったかもしれない。あれももう4か月くらい前か、、、早いね。

 

 2学期は少しずつ学校に慣れてきて、修学旅行とか楽しみだなーってなってた。まあその前に体育祭もあったけど。先生としてどこにいても怒られない感じとかがすごく楽しかった。生徒たちもみんな頑張って運動していたし(?) カメラを向けたらみんなすごくいい笑顔を向けてくれるのもとっても嬉しかったなあ。毎日頑張っている甲斐があったというかなんというか。修学旅行もこの代で行けて良かった。忘れたくないもん。初めて行った時のこと。ずっと覚えていたいな。修学旅行については以下のブログをご覧くださいませ。↓

xylade.hatenablog.com

 

 

 なんか、少しずつブログを書いているから見たことある内容ばっかりになっちゃうな。振り返りってそういうものか、、、?

 去年の振り返りで、

出来れば来年もこうして振り返り書いて、去年の自分は苦しんでるなとか面白く見ることができるようにしたい。

 って言ってて、去年の自分は苦しんでいるなって思った。でも、今年が苦しくなかったわけじゃないよ。種類の違う苦しさ?大変さに襲われた感じ。だから去年の自分の振り返りを見て笑えるものでもないし、来年また振り返りを書くときに苦しさの種類がどうなっているかって話だね。苦しさが消えるのなんて、宝くじが当たらないと無理じゃない?

 でも確実に過去の自分が、その苦しみが今を作ってくれているというのはよくわかるかな。自分だけじゃなくて、そばにいてくれる人にもとっても救われているしね。周りにいてくれる人を大切にしながら、もっともっといい一年にしていきたいです。年男だし。本厄だけど!!!2024は好き。簡単に2で割り切れるから。

 

 何の話をしていたっけ。ああ、振り返りか。2023年もこんな自分と仲良くしてくれてありがとうございました。一人じゃないって分かる瞬間があるから、毎日ちゃんと生きなきゃなってなります。2024年がみんなにとっていい一年になることを心からお祈りしています。

 よいお年をお迎えください。来年も何卒よろしくお願いします。

 

 またね。

 

長いよ、

 終業式が終わった。日数にすると一番長い2学期が終わった。始まる前はただただ長いなって気持ちだったけど、終わってしまうとあっという間だった。これは別に2学期だけに言えることではない。全部がそういうものな気がする。過ぎ去ってからその時の尊さだったり楽しさに気づくわけで。そうやって後悔を繰り返しながら生きていく。そしてそれが常に廻り続ける。そんな感覚。1週目がもう残り半分もないけど、自分はどう生きていくのだろうか。

 

    2学期の大きな行事。修学旅行。1年目からタダで沖縄行けるとかラッキーって思ってた。でも周りの先生は一回行けばもう充分ですとか言ってて、担任と副担でその負担は段違いなのかなとかも考えた。

 初日。朝4時半に起きた。学校に6時集合だから、5時半には家を出ないといけなくて、そんな時間。周りはまだ暗かった。学校に着いて、早朝特有の空気の匂いを嗅ぎながら他の先生と合流する。みんなまだまだ元気そうだ。学校から駅に向かう。たくさんのバスと多くの生徒がいた。非日常にわくわくしているようだった。ウチのクラスでも遅刻しそうな子が何人かいて、大丈夫かなと思ったけれどなんとか間に合った。安穂先生は羽田に向かうバスの中ですでに疲れていた。まだまだエピソード0ですよと声をかけておいた。笑っていた。ウチの学年は400人もいて(通常なら300人いかないほど)、集合場所や話を聞かせるだけで一苦労だ。羽田に着いてからの大所帯での移動はすごく気を遣った。全員いるかどうか、遅れている子はいないかどうか。気を張り巡らしていた。飛行機は無事に飛び立った。大きな混乱もなく。そして無事についた。大きな混乱もなく。

 那覇空港はとても暑くて、冬服の生徒たちは本当にかわいそうだ。かくいう自分もジャケットを羽織っていたが、さすがに脱いで、ワイシャツの袖をまくった。11月中旬なのに27度とかあってやってられなかった。那覇空港からバスに乗り、さっそく安穂先生の怒号(?)が響いた。那覇空港で待っているときにゲームをしている子がいたらしい。怒った後、隣でずっと後悔していた。バスガイドさんにも謝っていた。やはり怒るというのは難しいよななどと一人で頷いてしまった。初日は平和祈念公園ひめゆりの塔を巡って終わり。ホテルについてからもずっとホテル内をうろうろしていた。特に役割が振られていない時間帯でもずっとロビーなどにいた。部屋でじっとしているのはなんだかもったいない気がしてしまっていた。普段あまりしゃべらない生徒ともよく話した。他のクラスの子からは名前覚えられてないと思ってた!などと言われた。まあ、覚えていない子もいるけれども。

 

    2日目、クラス別研修。生徒がみんな思い思いの私服に身を包んでいた。最初はおきなわワールドでガラス体験をした。吹きガラスとかできると思ったら飲み口の形成だけで、拍子抜けした感じがした。お昼はキレイ目なビーチでバーベキュー。みんなご飯よりも砂浜に夢中だった。ウチのクラスは男女仲があまりよくなくて(理由は後述)、男子は男子、女子は女子で固まっていた。そこから一人の男の子が女子の集団に向けて歩き出す。男の子はそれから女子の集団に取り込まれて、すぐに一人の女の子とともに出てきた。海を背景に写真を撮る二人の姿は他の子も言っていたけど恋愛リアリティ番組みたいにキラキラしていた。太陽に照らされた海も負けじとキラキラしていたけど、若人の青春には勝てていなかった。熱いなとか女バスの子と話をしていたら、一緒にいた子が、「先生、青春クソです。」と言ってきた。今まで自分のことが嫌いなタイプだと思っていたから、話しかけられてびっくりした。思わず、「致死量の青春を浴びたよ」という謎の返ししかできなかった。

 クラス別研修の〆はカヌー。見学の子がいるから、自分やりませんと安穂先生に言われたけど、修学旅行で担任が見学なの訳わからな過ぎたから、さすがに自分が残りますと言ってカヌーに乗せた。見学者は青春クソですの子ともう一人。みんながカヌーをしている2時間半くらい、いろいろな話をした。クラスのこと、部活のこと、中学のこと。ふと気になったので、クラスの男女仲について質問をしてみた。女子曰く、クラスの男子が恋愛対象でしか見てこないのが気持ち悪いとのことだった。隠語で自分たちのことを会話しているらしく、ランキングとかつけられているんですよ!とかなりご立腹だった。友達感覚ではなく、常にそういう目線で話されていると考えると確かに辛いものもあるのかなと思った。結局、カヌーはできなかったけど、クラスのことや見学していた二人のことをよく知れた良い時間だった。

 ホテルに帰って、夕食の時間。教員でいることはなんだか自由で楽しかった。みんながご飯を食べている中を歩き回っても怒られないし、部員の席に言って、「〇〇遠慮しなくていいんだよ。もっと食べなよ。」とか「ちゃんと2週目行けよ~」とかいろいろいじるのが面白かった。

 点呼の時間。安穂先生と部屋を回っていく。青春クソですの子の部屋の番。点呼も終わったのになかなかドアを閉めようとしない。どうかした?と聞くと、同じ部屋の子がビーチで嫌いな男子に告白されたらしく愚痴を聞いてほしいとのことだった(写真を撮ってキラキラしてた子とは別)。その男の子には普段から脈ナシを伝えているのにもかかわらず、写真を撮ってくれとか付き合ってくれとか言われてもう最悪だったと悲しそうだった。点呼の時間は過ぎているから会話を普通にするわけにもいかないし、かといって無下にはできないし、と。葛藤した。結局就寝時間を20分すぎたくらいまで話をしていて、他の部屋を回り終えた安穂先生が帰ってきたのでお開きになった。本当は相手の気が済むまで話を聞いてあげたかったけどね。20分すぎたのでも大サービスだよ。ていうか自分たちの時の点呼ってあともう寝るだけの状態にしてからじゃなかったっけ。普通に風呂上りとか絶対寝ないだろこいつらみたいなやつら多くてアレだった(老害)。

 

    3日目はタクシー別研修。教員も数人でタクシーを貸し切り、生徒がいそうな場所を巡る。途中体調不良者の対応とかもあったけど、同乗していたのが大ベテランの先生だったから安心して頼っていた。体調不良者が出るのは珍しいといっていたかな。でも、初年度からそういう経験ができて良かった。夕方にはホテルのビーチで遊んだ。下っ端だから結局一番立ち仕事とかしないといけないわけで、大変だったけど、部員達から写真撮りましょーって寄ってきてくれたのはうれしかったな。普段からよくコミュニケーション取っててよかったなって。でも本当にいい子たちだから(いろんなとこで言っている)、それだけ尽くしたりやってあげたくなってしまうよね。一種の親バカみたいな感じなのかな。多分違うけど。

 

 最終日は国際通りを巡った。お昼は若手の先生グループでひとり5千円くらいするステーキを食べた。おいしかった。若手の先生も多い学年団だからその面でもとても救われている。自分は副担だから最後に国際通りの端っこから生徒を追い込み漁のように集合場所まで追い出して終了。国際通りの滞在時間短すぎるんだよな。部員とかスシロー行きました!って言ってたから、思わず「木更津?」って返しちゃった。おばさん先生は国際通りをこんな感じで回るなら首里城とか見させた方がいいって愚痴ってた。それも一理あるな。

 帰りの飛行機はみんなすごく疲れていた。起きている子あんまりいなかったんじゃないかな。自分は機内でずっと『薬屋のひとりごと』を見ていた。アマプラでダウンロードしておいたやつ。ちなみに行きの機内では『JOKER』を見ていた。羽田について、その寒さに驚く。そうそう、11月はこの気温ですよね。と現実に戻された気がした。そこから木更津駅、学校と巡って修学旅行は終わった。クラスの子たちともすごく仲良くなれたし、先生同士でも今まで以上にコミュニケーションをとることができるようになったと思う。青春クソですの女の子は学校帰ってきてからもよく恋愛の話をしたり、この前はディズニーのお土産買ってきてくれたりして完全になつかれている(言い方)。廊下で座っていたらロッカーから紙袋を出して、片手で「これあげる」といって渡してきた。「神やん!」という返ししかできなかったけど、「私優しいから」と自慢げだった。後日、部活のクリスマス会(後述)のクッキーのあまりをお返しとしてあげておいた。だいぶ喜んでいた。

 

 2年副担スタートで、次年度担任はよくある話らしいので覚悟しておかなければと思っている。きっとこのまま3年生に上がることはないかな、、?みんなと一緒に卒業まで突っ走りたかったけど、仕方ないよね。いや、勝手に言ってるだけで全然持ち上がりもあるけどね。まあ、どうなるか。残された2学年生活を楽しむよ。

 

 続いて部活のクリスマス会。ここまで夏休みにアイスを買ったり、ハロウィンに靴下あげたりと貢ぎまくっている顧問なわけですが、ここが腕の見せ所。クリスマス会です。普通ならフリースロー大会で優勝者に景品が一般的だけど、面白みがないから今回は筆記テストを作成してみた。いわば実技の部と筆記の部だね。

 実技の部であるフリースロー大会ではキャプテンが優勝した。さすがキャプテンと言わんばかりの安定性と集中力だった。でも他の子も試合以上にシュート率がよくて、いつもそれくらい入れてくれと思った。口に出した気もする。

 

 じゃああったかい格好してゼミⅣ集合ね。そう伝えて少ししてからゼミⅣに向かうと何やら声が聞こえてきた。「~後ろから入ってジングルベルは?」「~みんなで~」すべて聞き取ることはできなかったが何か計画しているようだった。「入るよー」というと「待ってください」という声。少ししてから入ると黒板に「MerryChristmas」と書かれていた。これ書いてました!と笑顔で答える部員。筆記部門なので、通常のテストみたいに雰囲気を出してみた。

「机の上は消しゴムシャーペンだけにしてください。スマホなどは使わないでください。」

「(スマホの着信音)」

「先生、〇〇のスマホがなりました!!ゼロ点で良いです!」

「不正行為やめてー、配るよー」

「(カメラのシャッター音)」

「〇〇がスマホ使ってます!!」

なんてやり取りをして試験に臨ませた。

以下内容

 

【Ⅰ】クリスマスに関する次の文章を読み、以下の問に答えなさい。

 ①クリスマスとは、文字通りキリストのミサの意で、キリストの誕生を祝う降誕祭であるが、起源元年12月25日にイエス・キリストが生まれたという確証はない。クリスマスは世俗化された形で「グローバルな祭り」となり、世界で一番好まれ、一番重視され、人類共通といえるほどの年中行事になった観さえある。②約200ヵ国のうち約150ヵ国がクリスマスを国家祝祭日に規定し、しかもその150ヵ国の中にはキリスト教国ではない国々も含まれる。また、メリークリスマスの「Merry」は【  ③  】という形容詞。クリスマスをお祭り気分でお祝いするという意味を持っている。クリスマスツリーは、旧約聖書の『創世記』に登場する「知恵の樹」の象徴とされており、冬の間も葉を落とさない④常緑樹が使われるツリーには、「永遠の命」という意味もある。

 

問1 傍線部①「クリスマス」を英語で書きなさい。(Xを使った表記は不可)

問2 傍線部②とあるが、日本はこの中に含まれている。「はい」か「いいえ」で答えなさい。

問3 空欄部③に入る最も適当な言葉を次の中から一つ選び、記号で答えなさい。

ア 神聖な イ 楽しい ウ 情熱的な エ 幻想的な オ 厳かな

問4 傍線部④に関連するクリスマスツリーに使われる常緑樹として正しいものはどれか。次の中から一つ選び記号で答えなさい。

ア モミ イ カエデ ウ イチョウ エ アオダモ オ モミジ

 

【Ⅱ】顧問に関する次の各問に答えなさい。

問1 顧問のフルネームを漢字で答えなさい。

問2 副顧問のフルネームを漢字で答えなさい。

問3 顧問は志学館中・高等部の出身であるが、顧問が2年生の時、先輩である3年生の総体でつけていた番号を次の中から選び記号で答えなさい。(当時3年10人、2年9人、1年忘れた)

ア 12 イ 13 ウ 14 エ 15 オ ベンチ外

問4 顧問が現役時代ほぼ毎日飲んでいた飲み物はどれか。次の中から選び記号で答えなさい。

ア イチゴミルク イ カルピス ウ 午後の紅茶無糖 エ ミルクティー オ コーラ

 

【Ⅲ】バスケW杯に関する各問に答えなさい。

問1 この大会で日本はオリンピックへの出場権を獲得したが、次のオリンピックの開催地はどこか答えなさい。

問2 日本は一次ラウンドで三ヵ国と対戦をした。ドイツ・オーストラリア、もう一か国はどこか。次の中から選び記号で答えなさい。

(河村が大爆発、4Qだけで3Pを4本沈め、計25得点したあの試合です。)

ア アメリカ イ ポルトガル ウ イラン エ フィンランド オ スペイン

問3 順位決定戦のベネズエラ戦で4ファールながら計23得点(4Qだけで17得点)を決めた比江島慎だが、彼の所属チームとして正しいものはどれか。次の中から選び記号で答えなさい。

ア 宇都宮ブレックス イ アルバルク東京 ウ 千葉ジェッツ エ 琉球ゴールデンキングス

問4 日本代表監督の名前は「トム・〇〇」である。〇〇に入るものとして正しいものを次の中から選び記号で答えなさい。

ア ホーキンソン イ ホランド ウ ホーガン エ ホーバス オ ホズンズ

 

【Ⅳ】バスケに関する各問に〇×で答えなさい。

問1 コートは縦28m、横15mと規定されているが、この中に境界線(エンド・サイドライン)は含まれていない。

問2 ボールを持ったまま横たわったり、その勢いで滑ることは正当だが、そのままコートを転がったり、再度立ち上がったりするとトラベリングになる。

問3 ショットクロック残り8秒でAチームがフロントコートでドリブルをしているときに、Bチームからファールを受けた。この場合ショットクロックは14秒で再開される。

問4 テクニカルファウルが宣せられた場合、他のファウルによって適用される罰則の順序にとらわれることなく、罰則(2ショット等)の途中であったとしてもそれらにかかわらず直ちテクニカルファウルの罰則であるワンショットが行われる。

問5 誤ったシューターがフリースローを打ったことに、2本目のシュートが成功した後に審判が気づいた場合、2本のフリースローは取り消され、相手チームのスローインで再開する。

 

【Ⅴ】

 新チームでの約6か月はみんなにとってどんなものだったでしょうか。

①良かった点と②まだまだ頑張れた点/これからどうしていきたいかの2点(3点)について自由に書いてください。

 

 正答率は高くて8割いかないくらいだった。みんなああでもないこうでもないといいながら解いていた。オリンピック開催地を沖縄県と答えるやつがいたり、クリスマスを英語で書く問題は黒板に書いてありましたと嬉しそうに言う子など様々だった。

 丸付けするから外練行きなさいと伝えて、マネと見学の子と3人で準備や飾りつけをした。結果発表をして、全員に靴下をあげて、成績上位者にはオプションのプレゼントもあげた。渡し終えると、写真撮ろう!といってみんなが部屋から出て行ってしまった。クリスマスグッズでも取ってくるのかなと思って待っていたら、みんながジングルベルをうたいながら部屋に入ってきた。その手にはなにやらラッピングされた袋があった。

「先生!私たちからもプレゼントです!みんなでアウトレットで選びました!!」

 自分は驚きや喜びを表現するのが本当に下手くそなタイプで、もっと上手に喜べるようになりたいと常日頃から思っている。多分ありきたりな驚き方をして、わけもわからず土下座しようとしていた。みんなにそれは止められたけど、嬉しくてよくわからなかった。普段指導している甲斐があるなと、この瞬間のために日頃の苦痛を乗り越えているといっても過言ではないかもね。みんなで写真を撮って、終わり。2年生が良い子たちなのはもちろんのこと、1年生ももっともっと良くなるはずだから、先輩の背中を追いかけていってほしいな。本当にいい子たちです。いろんなところで言っているけど、それだけいい子たちなんだもん仕方ない。まだまだたくさん練習して、試合で勝とうね。

 

 長くなりましたが2学期の一大イベントと嬉しかった思い出について書いてみた。結構充実してた気がするなあ。あっという間だった。多分年末に振り返りレポを書くつもり。1週目が終わりを迎えるとき、自分はどんな気持ちで何を考えているんだろうか。まだまだ経験してない苦労とか困難は山ほどあるんだろうけど、それをどうにか乗り越えられる強さとメンタリティを手に入れたい。いま、部員達がしていること、頑張っていることが後輩たちに繋がって、さらにその後輩に繋がって繋がって繋がって、ずっと平和な部活になればいいなと今は思うばかり。

 もっともっとよりよい毎日になるために、少しずつ歩いていく所存です。

 明日はクリスマスだね。みんなに幸が降りかからんことを。

 

 またね。

理由

 インフルエンザが校内で大流行していて、体育祭も延期になって、部活も自粛を要請され、三連休。金曜日は学年閉鎖にまでなって、先生方は授業回数ですごく悩んでいた。中間考査まで金曜消えがちなんだよね。9/8は台風で休校だったし、今週は学年閉鎖、10月の頭には創立記念日で休みだし。予定していた漢字テストとか授業の内容とかもろもろ変更を余儀なくされて非常に辛い。そこまでの対応力は元からないし、ただでさえ手探りでやっているのに色々とかき回されている感覚。上手くいかないことばっかり。部活にも不安の種ができた。部員の一人が起立性調節障害と診断された。大学の講義ではやったけれどもまさかこんなに早く実例と出会うとは思わなかった。元々その子はすごく明るくて人懐っこくて、誰にでも愛されるタイプ。でも本当の性格はすごくネガティブで気にしいでよく気が回るタイプ。すごく自分と似ていると思っていたし、MBTI診断の結果も自分と同じ提唱者らしい。普段からストレスのようなものは抱えていたみたいだけど、修学旅行の班決めでハブられた(言い方)らしく、それが決め手になったような気もする。熱が出て、体がだるくて、午前中はとても動けなくて、夜になればなるほど元気になるって。自分は何を言ってあげたらいいのかわからなかった。診断後初めて学校に来た時は午後から来て、すごくだるそうだった。とりあえず来たことを褒めて、遅れてでもいいから来ることが大事だと思うとも伝えておいた。けど本人はそう思ってないようで、すでに勉強も遅れをとっているし、最悪通信に転学も考えてると言ってきた。ついこの間まで誰よりも元気に部活に来て、熱心に練習をしている姿を見ていたからこそ、残酷すぎる現実だった。部活もやめるかもと。プレーヤーとして続けるのは正直厳しいからやってもマネージャー、でも午前練には来れないと思うし、練習試合などでも集合が早ければ来れないかもしれない、そんなのがマネージャーで良いのかと悩んでいた。

 どうして、この子がこんな思いをしなければならないのか。よくあるドラマのセリフがすぐそこにまで来ていた。みんな〇〇がいないと寂しいと思うし、俺もいてほしい。無理をいってるのはわかってるけど、極力辞めないでほしい。ストレートに伝えすぎたかな。でもそれ以外にわからなかった。診断される前日、熱があるから部活に参加させずに帰した。インフルも流行りだしていたので部内での流行を避けたかったから。その子はすごく嫌がってた。「私が学校に来る理由は部活しかないんですと、部活のために学校に来ているようなものなんです」と駄々をこねていた。その時はほかの部員と「今日お休みして、大丈夫なことを確認してからまた部活に来ればいいじゃん。インフルでもコロナでもないなら、その証明をしてからまた部活に来な?」と話した。自分は彼女の学校に来る理由というものを一旦でも奪ってしまったのかもしれない。その時点で熱は確かに37度あったけど、本人の意思を汲んで部活に参加させてあげていれば、気持ちも少し晴れて起立性調節障害という最悪の結末にならなかったのではないか。

 自分に今できることは何なのか。何をしてあげられるのか。ほかの先生は「確かに病んじゃう前に転学はありだよな」とか言ってたけど、自分にはその意味が分からなかった。出会って半年経ってない自分がこんなにも居なくなってほしくない、部活のみんなも悲しむし、どうしたらいいのかわからないと思っているのにそんなに軽々と居なくなる選択肢を肯定してほしくなかった。長年先生をやってれば転学退学には慣れっこかもしれないけど、自分にはまだその気持ちの余裕はなかった。できるなら持ちたくない余裕でもある気がする。

 

 自分がブログを書く理由。去年の大晦日に一年の振り返りを書いた。急に振り返りを書きたくなって、それが一番最初。

 

 ではない。高校生のころから秘密裏にかいていたlineブログなるものが存在している。今はもうサービス終了してしまっているので誰も読むことはできないが、自分の文章の原点はそこにある。高校生の頃から気持ちの揺れ幅が大きかった(特に人間関係で)自分は、その時の気持ちとか願望とか絶望を人知れず書きなぐっていた。若気の至りと言ってしまえばそこまでだが、今思い返せば顔から火が出るような言い回しばかりしていた気がする。サービス終了してくれてありがとう。大学に入ってからは比較的落ち着いていたけど4年生になってからはいろいろありすぎて、落ち着いていた心が動き出してしまった。文章にいろいろぶつけたくなってしまったのだが、書きだす口実がなかった。だから大晦日というイベントに便乗して書いてみた。その後は引っ越しや就職など、イベントに合わせて書いてみた。やはり何かイベントがあるとそこに絡めて書くことができて内容も整理しやすい。でも、それは個人的にいい文章ではなかった。引っ越しのはまだいいかも?

 だけどもやはり自分が一番書いていて納得がいくのはやはり気持ちが落ちたり、不安な時に書くような絶望と現状だけがわがままに書きだされたあの文章たちだ。仙台以降の働き始めてからのあの文章たちが一番自分の中で輝いている。誰かのためではない。自分のためだけに書かれたあの文章。読んでもらいたいけど読んでほしくない、言葉にするには重たすぎるけど、でも確実に誰かに伝えたい、分かってもらいたいとおもって毎回激重くそネガティブ文章を自分は書いている。数少ない本当の自己表現のために書く。それが理由かもしれない。めっちゃかっこつけてるけど、このブログの中で何かを偽ったことは本当にない。それくらい自分という人間がしみだしていると思う。いいのか悪いのかわからないけど、自分は気持ちが落ちているときにしか上手く文章が書けない人間。うまく書けないから死にたいとは考えないし、死んじゃダメって大事な人に言われたから死にはしないけど、明るいいい気持な時にこそ良い文章が書けるようになりたいよなあとか思ったりもするわけで。でもいま明るい理由についての文章書くとただのバカ重感情垂れ流し恋文になってしまうのでやめておこう。多分書いたら重くて引かれちゃう気がする。いや、いまさらそんなこと言うのも遅いか。要相談だね。

 

 なんで理由の話をしてたのにこういう風に決着がついたんだ?

 書くねって言って書いたからかな?でもあんなに特別感のあるもの聴かせてもらったらそりゃお返ししたくなっちゃうじゃん?まあいいか。理由なんて人それぞれあるし、正しいも間違いもきっとないよね。自分がそうしたかったからしただけ。カッコつけてるけど、ほんとにそうだから。

 

 自分がしたいからそうしたってすごく難しいことだけど、胸を張ってそういえるように教員一年目頑張っていきたいです。あんまりやりすぎるとクビになっちゃいそうだけど、できる範囲なら、ご機嫌取りばかりじゃなくて自分がそっちだ!って思った方に進んでいきたいな。

 

 まあ、そんな人間性してたら多分こんなにナヨナヨしてないんだけどさ。それでもそばにいてくれる人を大切にしたいです。

 ここまで読んでくれてありがとう。

 

 またね。

お見事 悩み事

 24時間テレビが始まった。夏休みの終わりが告げられたような気がする。あと数日で2学期が始まってしまうのに自分は何をやり遂げただろうか。毎日やらなきゃやらなきゃと思いながら逃げてばかり。夏休みが始まったばかりの自分に言ってやりたいね。結局勉強面のこと何もしてませんよって。

 悩み事は尽きない。一つ終わったと思ったらまた新しく出てくる。新しく出てきた悩み事の裏で細々と、しかし確実に訪れる大きな悩み事が進行している。消えることのない大きな悩み事の上に日々訪れては消えていく小さな悩み事が乗っている。そんな感覚。

 そんな中でも幸せはあるもので。自分のことを特別な呼び方で呼んでくれたり、部活とか外出から帰ってくるのを待っててくれたりする人がいるのは忘れかけていた感覚だった。すごく安心するし、いつだって誰かとつながっていたい自分にとってすごく心地がよかった。いや、現在進行形で。あまり書くと惚気のようになるからやめよう。然るべき時然るべき内容で書くべきだ。今はまだきっとその時ではない。

 

 自分は学校で生徒のことを名字さん付けで呼んでいる。授業中や部活中にも相手関係なく敬語で話していた。それは教育実習の時からそうだったし、いきなり来た新卒の教師が名字呼び捨てとか名前呼び捨てでため口だったらさすがに馴れ馴れしいし、偉そうじゃないか?と勝手に出した結論だった。生徒からしたら多分距離を置いてくるタイプとでも思われていたかもしれない。部活でも引退した三年生のことは今でも名字さん付けだし、練習中も試合中もずっと敬語で話していた。三年生は非常にキャラが強く、ちゃんと自我を持っているタイプだったので、極力やりたいようにやらせようと思ったから。3年間(正確には2年半くらい)の集大成をきっとポッと出の新人顧問にいろいろ口出しされたくないだろうと考え、基本受け身の姿勢をとっていた。そんな3年生も6月で引退し、新しい代がスタートする。きっと、自分がちゃんとに見てあげられる最初の代。恥ずかしい話だが、もう今から2年生が来年引退するのが寂しい。冬が来て、春が来て、引退。早すぎるな。このチームでもっともっと練習とか試合とかやりたいもん。こんな風に思えるのも自分の年齢が近いからなのだろうか。年を取ればそんなことも感じなくなってしまうのだろうか。今は若いからいわゆる友達先生のようにできているが、これからずっとそうはいかないだろう。その時が来たら自分はどうする?

 新しい代になって約2か月。大会がもう2週間後にも迫ろうかというある日。自分は頭を悩ませていた。これは本当に大きな問題だ。

『え?試合中部員のことをさん付けで呼ぶの?』

 幸いにも自分は経験した競技の顧問をやらせてもらっているから分かる。試合中に部員を名字さん付けする顧問なんて今まで中高6年間の競技人生の中で記憶にない。試合中に飛び交う声はどれも呼び捨てのもの。さん付けの指示、怒鳴り声、声援は聞いたことがなかった。3年生がいたときは特に何も考えていなかった。なぜだかはわからないけど。だがしかし、2年生の代になってからは話が違う。さすがにこれから練習で何度も顔を合わせ、何度も試合があるのにさん付けで呼び続けていたらきっとよくないと勝手に考えた。じゃあ呼び捨てにするか!となれば話が早いがこの文章を読んでいる人なら自分の性格をわかってくれているはず。いきなり名字呼び捨てにしたらなんだか偉そうだし、名前呼び捨てにしたら女の子が相手なので馴れ馴れしいなと思われそうだし、呼び方を変えれば敬語もやめなければいけなくなるわけで、急にため口??となりそうだしなどといろいろと考えてしまった。何人かに意見をきいたがやはり自分の中で正解を出すことはできなかった。

「いや待てよ?直接聞けばいいじゃないか」

 自分の中で決意が固まった。練習前にキャプテンに声をかける。

自「Aさん、部の存続にかかわる話があるから練習前にみんな集めてくれる?」

A「え、なんですか。怖いんですけど。」

自「いいから、集めて。」

 部員が全員自分の前に集まる。いつも部員に話をするときには立ちっぱなしだが、この時は雰囲気を出したくて座らせた。皆真剣な表情で体育館に座り込む。

自「そろそろ大会が近いじゃないですか?」

 当たり前だがこの時点ではいつも通り敬語で話している。

自「試合中みんなをどうやって呼ぼうか迷ってまして、、試合中さん付けで呼んでる顧問見たことないでしょ?だから呼び方変えようと思うんですけど何が良いですか?」

 部員たちはいっせいに笑い出した。くだらないことで悩んでいると思われたかもしれない。それでもいい。相手の意思を確認して変更したかったから。

自「わざわざ聞くなよって思うかもだけど、すごく気にしてしまうタイプで、急に名字呼び捨てにしたら~」上でした思い込みを部員にも説明をした。

 するとキャプテンが名前呼び捨てが良いですといい、ほかの部員も名前で呼んでほしいと続いた。

自「じゃあそうします!名前呼び捨てなのに敬語は変だから、ため口にしていきたいと思いまs、、、思う!」

こうして、名前の悩みは一件落着。呼び始めた当初は呼ぶことにすごく抵抗感があったし、なんだか照れている自分もいたが、今はもう何も気にせず呼べるし、話すこともできる。今後のことを考えるとこれでよかったのだと思う。あとから聞くと、名字さん付けと敬語は部内で辞めてほしいという話が出ていたらしい。結果オーライ。

 

 8月22日。大会当日。相手は強豪とまではいかないが、そこそこ強いチームだった(市原望洋)。1Qは対等に戦えていたが、2Qから少しずつ離されてしまい結果として4Q戦って20点差で負けてしまった。(高校バスケは10分で1Qでそれが4回ある。1,2Qが前半、3,4Qが後半という考え方)

 部員はよく戦ってくれたと思う。新チームになってから初めての公式戦だったから。でももっとやれるはずだった。さぼっているわけではないのだろうが、ルーズボールへの意識やリバウンドの意識はもっと高く持てるはずだった。(専門用語の解説はめんどいからパス!興味がある人は調べてみて!)

 試合後、相手の顧問に挨拶に行くと、選手の能力は志学館のほうが上ですよと言われた。きっとお世辞の意味もあっただろうが自分はそう捉えられなかった。選手の能力は上だがコーチがね、、と言われた気がしてずっと引っかかった。めんどくさい性格しているなと自分で痛感した。

 大会2日目。約50点差をつけて大勝した(姉崎高校)。今思えばいつも出れてないメンバーに出場機会を与えてあげるべきだったと反省。顧問になってからわかる部員のマネジメントの大変さ。勝つためにはベストメンバーで臨まなければいけない。そうすると出れないメンバーも必然的に存在しているわけで。自分は当時の顧問のお気に入りだったから1年生の時からバンバン試合に出してもらえてたし、何も考えたことがなかった。どれくらいの点差がセーフティリードで、強いメンバーを下げて、出れてないメンバーを出してあげられるのかわからなかった。もっと顧問として勉強しなければいけない。チームとしての大会はここで終わり。大会自体は3日目まであり、自分は引率がないのに役員として会場に一日いなければならなかった。普通に時間の無駄な気がしてならない。

 

 8月26日。また別の大会が始まった。志学館の試合は13時からだったが、審判として吹かなければいけなかったので、10時半に紅陵の会場へ。10分×4。審判をするということはプレーヤーと同じように走り回らないといけない。すごく疲れた。12時半に試合が終わり、志学館会場へ移動。安房高校との試合が始まった。前評判では志学館が負けるだろうという大方の予想だった。試合前、部員には「積極的なミスはOKだから。ドライブ切ってゴール下でブロックされてもなんも言わないよ。スリー打って外してもいいよ。打たなきゃ入らないんだから。でも消極的なミスはダメ。前が空いてるのに打たないとか、雑なパスして逆速攻喰らうとかはダメ。接触嫌がらないで、ちゃんと戦うこと、OK?」と話をした。なんでこんなに鮮明に覚えているんだろう。自分でもびっくり。試合が始まる。1Qはパスミスやディフェンスでのミスが目立つ。リバウンドもちゃんとやらない。タイムアウトをとり、いつもより強めに話をした。「やるべきことやらないと勝てないよ?」みたいなことを言った気がする。ここは覚えてないな。なんでだろう。話している最中あからさまに不機嫌な部員がいたので、ベンチにいた他の部員に聞いてみた。

「今日〇〇機嫌悪い?そうでもない?」その部員いわく、審判の謎判定にイライラしているとのことだった。というかこういうこともあんまり聞かない方がいいんかな。さすがにノンデリすぎた?

  2Qが終わって点差は18点ビハインド。正直敗色濃厚だった。自分が言ってしまっては元も子もないが。このまま3Q、4Qを戦ってもずるずる点差が開くだけだと思っていた。ウチのシュートはことごとく外れるのに相手のシュートはきれいに決まる。審判もウチに厳しいように感じた。負けてたからそう思っただけかな?どうこの試合を上手く畳むか。部員には言えないがそんなことも考えてしまっていた。2Qが終わると10分の休憩がある。部員の前に立つ。

 「今18点差でしょ?じゃあ3Q終わりまでに10点差か8点差までに詰めよう。で、4Qで同点に追いついて、勝ち越せばいいじゃん。難しいことじゃないでしょ?あと、スリー打っても良いからちゃんとリバウンドに入ること。ゴール下ちゃんと嫌がらないで戦うこと。ちゃんとやればファールもらえるから。で、審判と戦っても勝てるわけないんだから、イライラしないの。こっちが大人になるしかないよ?いい?さぼったらこのまま負けるからね。」

 みたいなことを言った気がする。正確には覚えてない。けど、下を向いてた部員をなんとか励ましたくて、現実味のある点差の詰め方・気持ちの持ちようを伝えたと思う。

 運命の3Qが始まった。連続で得点を重ねていく志学館。それまで落ち続けていたシュートが入り始めた。リバウンドもしっかりとしているし、パスカットやディフェンスも冴えている様に見えた。これは逆転ワンチャンあるなと思った。試合中は気づかなかったが、3Qだけでみると33-10と圧倒的な得点差を見せ、18点あった点差を追いつくどころか5点リードに変えてしまったのだ。正直鳥肌が立った。ここまでやり切れるのかと。顧問として何かをしてあげられたわけでもなく、ただ精神論を振りかざしただけだが、それでもうれしかった。3Qと4Qの間の2分休みには、

「追いつくどころか逆転したじゃん!リバウンド取って、ゴール下戦って、自分たちで流れ作ったから、外のシュート入り始めたんだよ。最後までやり切るよ。」

 そう言って送り出した。勢いは止まらず、得点を重ね、最終的には20点ほど点差をつけて勝ち切った。18点負けていた状態から20点リードして勝つなんて誰が想像しただろうか。他校の先生からも、あの状態からよく勝ったねなどとお褒めの言葉をいただいた。部員には今日の経験を自信に変えて、明日の試合も頑張ってほしい。

 短い高校生活の中で、やり切ったと思ってもらいたいし、自分も今の子たちとやりきったと思いたいから。大会はあと数えるほどしかないかもしれないけど、少しでも多くこの喜びを部員と分かち合いたいのです。

 でもきっと顧問をしていく中で部員がケガをしたり、辞めてしまうことは絶対に経験としてあるのだろうけど、いつか来るそれが怖くてたまらない。今の子たちですらケガしてほしくないのに、これから先何回もそんな場面が来ると思うと嫌すぎる。これが最初に行った大きな悩みの一例。いつか来る、細々とした、でも確実な悩み。そんなこと考えるなと思うかもしれないけど仕方ない。そういう性格だから。

 

 すごく自慢チックな日記のような文章になってしまったけど、それだけうれしかったってこと。生徒たちの頑張りがうれしすぎて文章にしてしまった。お見事だった。本当に。2学期が始まるという鬱々とした事実をその瞬間だけは忘れさせてくれていた。もう部活動のためだけに学校に行きたいまである。授業やりたくないから、部活動だけ見ていたい。なんていうのはすごくわがままなことなんだけど。明日が終わればいったん部活は3連休。いい形で終われるように頑張りたいね。

 

 バスケを知らない人にとってはなんのこっちゃな文章かもしれないけど、それでも誰かに自慢したかった。うちの子たち(言い方キモイ)はこんなにすごいんだぞって。部活やるとどうしても時間なくなりがちだけど、今はそれでいい。どんだけ身銭を切ってもいい。自分がちゃんと見る初めての代だから思い入れが違ってきているのかもしれない。何事もなく、引退まで突き進めますように。最近は部活も充実しているし、プライベートも充実してきている。長く、この気持ちが続けばいいな。

 

  バスケW杯が絶賛開催中です。確か27日の夜試合があります。興味があれば是非見てみてください。

 

 またね。

サマバケ(仮)'

 「暮夏のみぎり、皆様ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。」

 暮夏というのは夏の暮れ、つまり夏の終わりを指す。「暮」には季節・年・人生の終わりの時期という意味があるらしい。それと夏を組み合わせて「暮夏」と呼ばれている。どう?国語科っぽい?ちなみに↑のあいさつは8月中旬の挨拶を調べたら出てきた。

 お盆が終わるといよいよ夏が終わる気がする。近頃の夏はお手頃で良い。外に出るだけで夏らしい暑さを感じられるからね。最近は9月まで普通に暑いけど。そう考えるとお盆を過ぎて終わるのは夏ではなく夏休みなのではないかと思うわけで。この時期少し憂鬱になるのは小中高の12年間毎年この時期を辛く感じてきた名残なのかな。ああ、夏休みが終わる。宿題終わってない。24時間テレビがもうそろそろだ、とか。考えてた気がする。あとは花火大会が始まるとそろそろ終盤か~となる。(どうして後半に花火大会やるんだろうか。7月の真ん中とかでやってくれよ。などと誰にも共感されることのないわがままをここに書き残しておく。)社会人に慣れたらだんだんその感覚も薄れる?教職系だとどうせ長期休みという区切りがあるからずっとこの憂鬱さを抱えていそう。アップデートされない感覚。

 三連休が最大で、あとは部活とか学校見学会とか夏期講習とかの夏休みだった。サマーバケーションとはよくいったものだ。どこがバケーションなのか。ただのサマーだったよ。ほんとに。でももともと夏休みという概念すらない人もきっといる。尊敬しかない。大学生のころはあんなにも長い長い休みだったのに、1年後にはコレだもの。前日大量得点だったのに次の日には普通に完封負けを喰らう千葉ロッテマリーンズみを感じる。いや、それはさすがにみんなに失礼だった。

 

 自分は人付き合いがお世辞にも上手とはいえず、というか普通に下手くそで、遊ぶ予定とかなかなか立てられないし、元バスケ部とかから電話かかってきても一回無視してどうした?ってlineするし、出てって言われても無理っていう。なんか、仲がいいからこそ電話されるとうげってなる。要件だけ聞いてそっかバイバイができればいいんだけれども、できない。謎の会話タイムみたいなものが本当に耐えられない。でも深い仲の人とする電話は好きだ。文章じゃ伝えられないこともうまく言えるし、間違えてもすぐ修正できるし、自分は言葉の言い方(?)、ニュアンス(?)みたいなところで勝負をしている節があるので、相手に不快感を与えず、かつ真意を汲み取ってもらえるから電話が好きだ。じゃあ直接会って話せよとなるかもしれないがそれは違う。何度も言っているが本当に相手の目を見ることができないタイプで、相手の目を見ているということは自分も見られているということで、その恥ずかしさに耐えきれない。深淵をのぞく時~のやつみたいになったけど。首元、相手の後ろ、足元を延々と目線がループする感じ。たまにめっちゃ目を見てくるタイプの人いるけどすごいなと思ってしまう。自分とはタイプが違いすぎる。

 電話はいいところだけではない。やり取りがその場限りになってしまうのが少し悲しいポイントでもある。何を言っているんだこいつはと思われるかもしれない聞いてほしい。電話ではこう言ってもらえたけど、その場限りだったらどうしようなどといらぬ心配をしてしまう。また、自分の言ったことが相手の中にちゃんと残っているのかどうか不安になってしまう。いや、残すか残さないかは相手の選択だからどうしようもないのだが、自分の伝えたいことがもしうまく伝わってなかったらと思うとすごく寂しくなってしまう。でもそれを補って余りある利点がそこには存在しているから、やはりいいものだなと思う。声色とかを感じることができるのは何よりも幸せなことだ。久しぶりになんだかそういう時間を過ごせたのは枯れきっていた自分の世界を鮮やかに彩り、いつも病みがちな自分の気持ちを落ち着かせてくれるものだった。この夏休み本当に枯れ果てずに過ごせたのも。きっとね。でも電話が終わってしまった後の一人に戻る時間はどうしても「ぐぐぐ、、」となってしまう。その寂しさを紛らわすためにまたしたいと思ってしまうのかもしれないけど。まだ言いたかったことも色々残っているから少しずつ言えたらいい。なんか重要なことって電話中の脳内話題ボックスから消えていってしまって、終わった瞬間に呼んだ?的なテンションで出てくるの本当に腹が立つ。お前が必要だったんだよあの時間には!!となる。これもきっと共感されない。ただでさえ話にまとまりがないのに、伝えたい内容たちがいなくなってしまうともっと話が散らばってわけわからなくなってしまう。この文章ですらすでにサマバケとは全く無縁のものになっているというのに。でも、急にそういう話がしたくなったっていうのはそういうこと。世間は木更津花火大会だったけど、そんなことも話題にならないくらいだった。いや、そんなことを話題にするのは野暮だった。確実にね。

声聞きたいな。よくばりかな。自分。すごく幸せで、気持ちも満たされている。なのにどうしてもっとほしくなってしまうのか。失うことは考えたくないけど、求めてしまえばしまうほど、失った時の反動は大きい。それでも、「一緒に」をたくさんしてみたいと願うのはきっとよくばり、だよね。

いい言葉には何回も疑心暗鬼になるくせに、悪いニュアンスにはすぐ被害妄想を膨らませてしまう。おバカさんです。でも、自分の気持ちはまっすぐ。伝わってたらいいな。また願望。やっぱりよくばりな自分。叶えられる日は来る?また自分だけ舞い上がってたらどうしよう。悪い癖また出てるよ。なんてね。

(追記分)

 

 

 明日から普通に学校に行かなきゃならないのが辛い。夏休みなんてなかったし、この文章のタイトルが(仮)なのもそういうこと。SNSを見ればキラキラがあふれてきて、自分は何してるんだろうとなってしまう。けど、SNSをやめる勇気がないところが自分の弱いところ。いやなら見なければいいしやめればいいのにつながりがなくなるのが怖くて踏み出せない。いつか、そんな弱さも全部まとめて。

 

 サマバケというタイトルが仮なのか、夏休み(仮)だったなあなのか、分からなくなってきちゃったけどまあいっか。どうせ壁打ちだからね。文章に逃げたくなったわけじゃないよ。少しだけ自慢したくなっちゃったのかも。個人的夏休みの終わりがいいものだったんだぞーって。自分で言っといてなんだけど幼稚だ。あんまり人様に言うようなことじゃないのかもしれないけど、どうせ壁打ちだから(2回目)いいよね。許してくれると思ってる。いつもありがとう。きっとここまでちゃんとに読んでくれる人は少ないと思うけど、もし読んでくれてたらそろそろ安井検定とか合格できるんじゃない?

 次の文章それでいくか、、、、

 

 冗談です。

 

 何かに逃げたくなったら来る。来ないときは調子がいいってことだよ。

 でも今回は明るい気持ちだから要するに気分次第ってこと!

 

 またね。