卒業だね

 沖縄から帰ってきて、まあいろいろあって今はメンタルブレイク中なわけですが。

 いや、常にメンタルブレイクしているなかで調子がいいか悪いかだけの人間だから、その考え方でいくと調子は最悪。明日(3/18)はなんか本当に行きたくない飲み会が予定されていて本当に行きたくないです(本当に行きたくない)。

 

 沖縄にいたからなんとか気持ちあげて生きていたけども、千葉に帰ってくると希死念慮マシマシだ~。メンタル雑魚、ホントに。Twitterにも挙げたけどうつ病診断みたいなのやるとどのサイトでも中程度って診断されるの本当に終わっている。このメンタリティで教員をやり遂げることができるだろうか。いやできない。(反語)

 

 ここの文章でこんなに饒舌だったことあったっけ。やはりメンタルの状態と序文的な文章のテンションは反比例するんだな。今日は卒業式のこと書こうかなって思ったけど、そんなに書くことも無いから沖縄の話とかメンブレの原因について話そうかなあ。その時の気分で決めよう。うん、それがいい。

 

 大学の卒業式は卒業という実感を与えてくれるものではなかった。すごくヌルっと始まって、ヌルっと終わった。小学校の卒業式の呼びかけ練習は今でも忘れない。「柔らかな春の日差しを浴びて」「桜のつぼみも膨らむこの良き日に」「小糸小学校を卒業される六年生の皆さん」「ご卒業おめでとうございます。」「(いち、に)」「おめでとうございます!」「いま、そっと目を閉じると」「あの日、あの時の思い出が」「昨日のことのようによみがえってきます」「(いち、に)」「よみがえってきます!」以下省略。考えてみればすごく広く感じたあの体育館だって、今見ると大学の教室の方が広く感じたりするのだろうか。あの頃が一番輝いていた気がする。どこかで道を間違えたなどというつもりはないが、少しずつ良くない方向へと進んでいってしまったのだろうか。じわじわと、遅く効く毒のように。

 

 中学の卒業式はあまり思い出せない。在校生として出席し、卒業生の名前を延々と聞いていた記憶しかない。自分が卒業生としてどのように式に出席していたのか本当に思い出せない。この時点でなにかに毒されていたのだろうか。自分が一番だと思っていた小学生から、いろんな人がいる中学で現実みたいなものを知ってしまったのだろうか。その時点でこの性格が形成され始めていたのだとしたら納得がいく。大体笑われる方で、黙って従ってれば上手くいくと思っていて、だから自信が持てなくて、こんな感じで卑屈になってしまったのかもしれない。自分を貫くだけの強い意志のようなものがもとから備わっていなかっただけの問題かもしれないが。

 

 高校の卒業式は呼名に真剣だったことを覚えている。あとは来賓のお座りくださいには従ってはいけないこと。涙は出なかった。クラスの女の子が一人、悲しさのあまり立てない状態になっていたのはよく覚えている。その人にとってここはそれほどまでに大きな存在だったのだなと痛感した。基本的に誰にでも明るい人だったけれども、無理をしていた部分もきっとあったに違いない。卒業してからも何度か連絡を取り合ったけれども、すごく大変な思いをしているようだった。人に優しすぎるが故に自分を殺してしまっていた。少しでも良くなっていてほしい。

 

 大学の卒業式は練習もないし、いい姿勢を保つ必要もない。来賓の長い挨拶もない。卒業式と名のついた仮装大会みたいであった。この例えは上手くもないし褒められたものでもないが、卒業の実感は本当に湧かなかった。仲良かった人で、今生の別れになる友達もいたかもしれないのに最後のサヨナラを言えなかった人もいる。けど不思議と寂しいなどと感じることもなかった。自分が冷めているのかと不安になる。大学はいわゆる陰の者だったが、他人を貶すことがない友達ばかりだったから毎日楽しく過ごすことができた。大学生らしいことも一応色々経験した。後悔していることは少しあるけれど、どうしようもない。今が楽しければそれでいいとなるかもしれないが、今は楽しくないのでそうはいかない。ずっとマイナス。

 

 沖縄は楽しかった。話すことは九割恋愛のことだった。あの人かわいいとか、沖縄にも彼女を作りたいとかふざけたことを言っている奴もいたが、それを許容できるくらいに心が落ち着いていた。あの瞬間までは。沖縄は本当に観光客ばかりで、現地の人は店員さんくらいしかいないのではないかと思うくらいだった。カップルも多かった。すれ違う度にメンタルを削られていった。ずっと羨んでいた気がする。と同時に大切にするんだぞという謎の上から目線も持っていた。男同士の旅行ももちろん面白いが、やはり好きな人とどこかに出かけるという経験は何にも代えがたいものがある気がする。

 

 先日仙台に行った。写真を撮っているときや食べているときの横顔を撮るのが好きだ。自分だけの画角だから。カメラを向ければポーズをとってくれるし、触れることはなくとも二人でいるという事実が心地よかった。本当は仙台に行く前に想いを伝えたかった。けれど失敗したら旅が壊れてしまうと思って言い出せなかった。いや、それを理由に逃げていただけかもしれない。沖縄から帰って、ちゃんと言おうと思っていた。四月から社会人になるから、ダメでも悔いは残らないし、すっきりすると思った。

 現実は甘くない。沖縄にいるとき、相手から彼氏ができたと報告された。ホテルの駐車場を歩いているときだった。全身が冷たくなった。血の気が引いたとでもいうか、何の気なしに開いた通知がそれだったので、なおさら響いた。伝えて、振られたのではない。そもそもそのステージにも立つことがなかった。人生は一度きりだから、恐れずにチャレンジしたほうがいいと、頭ではわかっている。行動には移せない。自分の事が本当に嫌いになった。ご飯の味なども思い出せない。ただ、夜中に散歩行くわといって部屋を出て、ホテルのラウンジで電話を掛けたことは覚えている。5分も話さなかった。自分の想いを伝えて、感謝をされて、これからを応援された。ただそれだけ。その時の行動が正しいのかは分からないけれども、自分の声が情けなく、絞り出されたようなものだったことは忘れたくても忘れられない。

 この後ももちろん沖縄旅行は続く。少しでも気丈に振る舞おうとたくさん写真を撮ったし、笑顔でいることを心がけた。自分の笑顔は好きではないが。ダメージがないと主張したかったのかもしれない。いや、そう自分に言い聞かせていただけかも。

 渡すはずだったお土産もホワイトデーも行き場を無くしてしまった。人の為に買ったのに渡すことができないってすごく辛い。このような思いはもう二度としたくないと強く感じた。

 

 正直想いを伝えたのを今は少し後悔している。何もしなければ今まで通りただの友達でいられたのかもしれないけれど、伝えてしまったからにはそうはいかない。相手に気を遣わせてしまっているのが痛いくらいに分かる。将来的に見ればこの判断が正しかったのかもしれないが、今は何も良くない。成長についてブログを書いたのもこの出来事がきっかけだ。今までの自分だったら想いを伝えずに隠し通していたけれども、伝えるということで成長できたのかもしれないと思いたかったから。

 

 そう考えると仙台旅行は神様がくれた最後の輝きのようなものだったのかもしれない。お前はこれから絶望の淵に立つから、最後くらいは楽しい思いをさせてやる。といった類の。新幹線ではしゃいだのも、ずっと他愛もない話をしていたのも、カラオケで騒ぎ散らかしたのも、おみくじを引いて笑いあったのも全部いい思い出。写真を見返すのが好きだったけれども、今は見たくもない。相手の人の中で、少しでも自分という存在が生き続けてればいい。それくらいしか今は。

 

 こういうことがあったから、街行くカップルを見て羨んでしまう。幸せは続かないから、相手の笑顔、その触れ合いを大事にしてほしいと勝手に思ってしまう。ミジンコ以下の自分が他人の恋愛に口を出すのはどうかと思うが、今ある幸せを噛み締めてほしい。ちゃんとに想いを伝えた人間の皆なら絶対できる。遅れて想いを伝えることでやっとミジンコを卒業(?)したばかりの自分とは違うのだから。

 

 今回の文章ホントに重いな。今は深夜テンションで書き上げてしまっているけど、これ後で見たらすごい死にたくなるのかな。今も死にたいけれども。女々しさ全開って感じでマジで鬱。じゃあ書くなよって言われるかもしれないけれども、行き場のないこの気持ちをどうにかしたいのは事実だから。ストーリー載せるときにちゃんと女々しいことと長いことと重いことを注記しておかないとな。あ、Instagramサブ垢始めました。

【@moyshi22】です。よかったらフォローしてね。長続きする気しないけど。あーでもこのブログ見れてる人は大体こっちからフォローしちゃってるからアレか(アレ)。

 いつもより文量が二倍くらいになっちゃったな。大学3年の期末課題くらい書いたわ。まあ、だからストーリーとかで自分を見たら、あ、こいつ失恋したのに頑張ってんなくらいの気持ちで見てください。それだけで救われる命もあります。

 

 卒業式の話からなんでこんなに重たい話になっちゃったのかな。書いたの自分だけど。ここに来るときは逃げたいときだから、少しでもブログの更新頻度が下がればいいな。書いてるときは調子悪くて、何もないときは充実しているんだなって感じ。就職までにもう一回くらい書く気がするけど、まだわからないや。もしここまでちゃんと読んでくれている人がいたら、本当にありがとうございます。よくここまでたどり着いたものだ!こんな文章をちゃんとに読んでくれてありがとう。本当に救われています。いや、本当だよ。

 

 キリもいいのでここらで終わろうかな。夜中から朝になってしまったけれども、少しは気持ち軽くなったかも。重ね重ねいつもありがとう!

 

 またね。